PR

地方 地方

【老舗あり】沖縄県那覇市「琉球楽器またよし」 響き続ける名工の音 逸品も格安で入手可能

Messenger

 ところが真栄さんは数年後に店をたたみ、宮崎県真幸町(現えびの市)で農業を始めてしまう。今となっては理由は分からない。俊夫さんは「危険を察知したんじゃないか」と想像する。俊夫さんが石川市から引っ越すまで、後に米軍戦闘機が墜落する宮森小学校に通っていた。

 又吉一家が沖縄に戻り、那覇市松尾で店を再開したのは34年だった。琉球民謡の大家、故普久原(ふくはら)朝喜(ちょうき)さんを大阪に訪ねた際、「早く沖縄に帰って三線を作れ」と怒鳴られたことが真栄さんを後押しした。店は36年に那覇市久茂地へ移転し、屋号も「真栄堂」に改めた。それからの真栄さんは名工として地歩を築き、53年には文化功労賞を受賞した。

盗んだ名品の手触り

 そんな真栄さんにまたとない機会が与えられたのは、沖縄国際海洋博覧会が開かれた50年のことだった。徳川美術館(名古屋市)が所蔵する江戸時代の三線が展示され、又吉さん親子は手に取ることを許された。手袋をはめることが条件だったが、親子は目を盗み素手で手触りを確かめ、密(ひそ)かに複製を作った。

 その経験は後に生きる。平成4年に首里城(那覇市)が復元された際、徳川三線の複製が収められた。その協力者として白羽の矢が立ったのは俊夫さんだった。俊夫さんは「図面があってもレントゲン写真を使っても駄目だ。直接手にしなければ三線のことは分からない」と語る。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ