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父が見た風景どこに 「キャンプ・マツシマ」滞在の米軍医の息子が写真展

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 先の大戦終結から6年後、昭和26年当時の仙台や松島、石巻を撮影した写真が仙台市若林区の「せんだい3・11メモリアル交流館」に展示されている。撮影したのは朝鮮戦争に米軍医として派遣され「キャンプ・マツシマ」(現・航空自衛隊松島基地)に滞在したジョージ・バトラーさん(1911~74年)。息子のアラン・バトラーさん(69)が、米国から初来日。トークショーで父が見た風景への思いを語り、撮影地の情報も求めている。 (高梨美穂子)

 ◆カラーで鮮やかに

 ジョージさんは昭和26年3月から12月までの9カ月間、同キャンプに滞在。休暇を生かし、復興し始めた風景を当時は貴重なカラー写真などで約2千枚撮影した。アランさんは約10年前の母親の死後、実家の地下室でフィルムなどを発見、整理しているうちに東日本大震災で被災した宮城の沿岸地域だと気づく。写真を学んだ経験もあり、これらの写真を復元、今回約130点が展示された。

 米カリフォルニア州サンタローザで育ち、現在も暮らすアランさんは、撮影した父親の愛機は米アーガス社製「C3」だと紹介。「自動フォーカスもなく露出計もないようなシンプルなもの。それだけに写真の質が大変わかりやすく出てくる。被写体になった人たちがうれしく思っている様子がよく見える」と語った。

 カラーフィルムは当時の日本では入手困難だった。軍を通して購入し、現像のためカリフォルニアにいた妻に送っていたという。後に焼失した著名ホテル「松島パークホテル」や、海や田畑、商店で働く人々の営みなど、当時を色彩とともにみられる貴重な写真となった。仙石線旧野蒜駅(東松島市)、日和山からの風景(石巻市)、牡鹿半島で遊ぶ子供たち(同市)、渡船の風景(塩釜市)などの様子もある。

 身長が196センチあったアランさんだが、人々は恥じらいながらも自然なほほ笑みをカメラに向かって投げかけている。「当時40歳、そして医師だった父は、若い兵士とは違う他文化へのリスペクトも持てたのでは」。子供の写真が多く、故郷に残してきた家族への思いが感じられるという。

 「写真好きの父は米西部も多く撮ったが、日本で撮ったものとは趣が違う。日本の写真は人とのつながりをすごく感じる。特別の思いをもっていたのが分かる」とアランさん。

 ◆6人の被写体判明

 カラー写真には詳細な説明が記されていたが、白黒写真は撮影地が定かでないものも多いという。被写体となった人たちは写真展が始まった5月の段階で6人が判明。今回の来日で、それらの人も訪ねた。

 撮影を行った沿岸部は、時代のせいだけでなく、東日本大震災の津波によって大きく変わってしまった。

 アランさんは「なかなか撮影地がどこかは分からなくなっているが、この写真で津波で壊される前の古い風景、昔ながらの景色をお見せできてうれしく思う」と語った。

 会場には撮影地情報を求めるボードが設けられ、「写っている仙石線の車両は進駐軍専用車両」「宮戸島の大高森から西を見た写真」などと記憶をたどって撮影場所を記した来場者のメモが貼られている。

 写真原本は現在、ハーバード大の博物館に保管されており、アランさんはウェブサイト「MIYAGI 1951」(https://www.miyagi1951.com/)で英語と日本語でも公開している。

 写真展「MIYAGI 1951」は8月26日まで(8月6日を除く月曜と7月17日、8月9日は休館)。入場無料。

 7月21日午後2時からは同館で関連企画として、「石巻市復興まちづくり情報交流館 中央館」のリチャード・ハルバーシュタット館長をゲストに迎え、ジョージさんが石巻で撮影したと思われる写真を取りあげるトークショー「仙台・石巻物語」を開催する(先着30人、事前申し込み優先)。問い合わせは同館(電)022・390・9022。

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