PR

地方 地方

東洞院大路の道路側溝出土 戦国時代のお抱え医師「竹田法印」屋敷跡 京都

Messenger

 京都市中京区の商業施設建設予定地から、戦国時代の16世紀に朝廷や室町幕府のお抱え医師だった竹田法印(ほういん)の屋敷地の西限とされる当時の東洞院大路の道路側溝などが出土した。民間調査会社「四門」が地元住民向け説明会で公開した。

 竹田法印の屋敷は、南北は現在の蛸薬師通から錦小路までの南北120メートル、東西は東洞院通から東に75メートルあったとされる。織田信長が狩野永徳に描かせた洛中洛外図屏風(びょうぶ)・上杉本にも描かれている。

 今回は約460平方メートルを調査したところ、調査地の東端から東洞院大路の幅約1メートル、深さ約50センチの側溝が出土した。一緒に出た土器などから平安時代当初の溝ではなく、竹田法印が改めて設けたものとみられる。

 竹田家は中国で医学を学んだとされる南北朝時代の昌慶(しょうけい)を祖に代々、京都御所や室町幕府、後は江戸幕府にお抱え医師として仕えた。法印の屋敷は豊臣秀吉が天正18(1590)年に京都で行った区画整理事業「地割」で移転し、これに伴い側溝も埋められたとみられる。

 このほか、竹田法印当時のものとみられる建物の礎石や大甕(がめ)片、法印の後に屋敷を構えた松平下総守のものとみられる瓦などが出土した。

 同社の辻広志主任調査員は「戦国期から江戸時代にかけての土地利用がよくわかる。特に竹田法印は地位や名前の割に現在出ている資料数が少ないため、今回出土した資料は貴重」と話している。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ