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【自慢させろ!わが高校】福岡工業大付属城東高校(上) ダンスや吹奏楽で大活躍 

「国民の自衛官」にも選ばれた外囿祥一郎氏
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 ステージにダンサー9人が上がった。シルクハットに黒のジャケット。襟や袖口に金色のラインが入る。

 「ソウルの帝王」と呼ばれたジェームス・ブラウンの「Can’t Get Any Harder」が流れる。2千人が入った客席から、割れんばかりの拍手と歓声が起きた。

 軽快なリズムに乗って体を動かすダンサーは、高校生だ。

 福岡工業大付属城東高校(福岡市東区)で4月13日に開かれた新入生の歓迎イベントだった。

 城東ダンス部の実力は世界クラスだ。

 今年3月24日、米テキサス州のノーステキサス大で開かれたダンスドリル選手権世界大会では、ヒップホップ部門で優勝した。総合でも準優勝になった。世界大会進出は4年連続だった。

 歓迎イベントでも、城東新入生は、ダンス部員の動きにくぎ付けとなった。

 部員は続けて、家族への感謝の思いをテーマにした創作ダンスを披露した。こちらは33人の部員全員が参加した。キャプテンの3年、佐藤花菜さん(17)は「私たちが今、城東高校で、世界で頑張れるのは、家族をはじめ、たくさんの方々の支えがあったからです」とあいさつした。

 佐藤さんは小学生の頃からダンス好きだった。動画投稿サイトで城東ダンス部の映像を見て、進路先に選んだという。

 ダンス部の歴史は、前身のダンス同好会を含め10年ほどだ。部員は大学キャンパスの施設を借りて、練習に励む。

 「世界大会に出るんだ」という目標は、実力と自信が付くにつれて、「世界で勝つ」に変わった。「世界一になる」がダンス部の合言葉となった。

 ダンス部顧問で理科教諭の山田恵氏(37)は「ダンスは振付師らと一緒に考えます。それを練習に次ぐ練習で、自分自身の作品へと昇華させる。それが城東の生徒が持つ力です」と語った。

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 佐伯道彦校長(49)は歓迎イベントで「君たちは皆、天から与えられた特別な才能、ギフトを持つ。それをしっかりと発揮してもらいたい。それが私たちの願いです」と語った。

 ダンスに限らず、「ギフト」を磨いた生徒は多い。

 吹奏楽部もコンクール全国大会の常連校だ。全国出場は平成29年秋まで4年連続で、計31回に上る。

 金管楽器、ユーフォニアムの世界的奏者で、東京音楽大の教授、外(ほか)囿(ぞの)祥一郎氏(48)=昭和63年卒=も吹奏楽部で3年間、練習した。

 鹿児島出身の外囿氏は、中学2年のとき、熊本県立劇場(熊本市)で城東吹奏楽部の演奏を聞いた。

 「並外れて洗練された音色に感動した」。迷わず入学した。当時、約40人の吹奏楽部の部員は、全員が寮で暮らした。

 寮は高校の敷地内にあった。3、4階に吹奏楽、2階に柔道・剣道の部員が入る。1階には寮母さんがいた。

 朝夕食は寮で出るが、昼食は自腹だった。実家からの仕送りは月1万5千円だった。

 「月に2回も演奏会に行けば、もうお金がない。お昼は1杯80円の白ご飯に、福神漬けを山盛り乗っける『赤飯』ばかりでした」

 外囿氏は中学までトランペットを吹いていた。吹奏楽では人気が高く、恩師に言われ、ユーフォニアムに回った。その後の人生を変える出会いだった。

 グラウンドで毎日、楽器を抱え、吹いた。慣れない楽器で、もどかしさがあった。親元を離れた寂しさもあった。

 グラウンドからはJR鹿児島線の線路が見えた。

 「あの列車に乗れば故郷に帰れるのにと、毎晩のように布団の中で泣いていた。でも、コンクール本番で笑いたくて、踏ん張りました」

 部では「根性なき者は去れ」など、吹奏楽部に伝わる部訓「三髄・五訓」をたたき込まれた。

 厳しい練習だけでなく、コンクール後には、会場の掃除やいすの片付けもする。外囿氏は「奉仕の精神も、福工大城東の精神なんです」と語った。

 卒業後、恩師の薦めに従って航空自衛隊航空中央音楽隊に入った。

 コンサート出演は年間100回に達した。射撃訓練など自衛官としての任務もある。43歳で退官するまで、激務が続いた。

 「高校時代に踏ん張った経験があるからこそ、踏ん張れた。世の中、甘くはないし、負けてなるものか。そんな精神力も、吹奏楽を通じて教わった」

 外囿氏は平成15年、「国民の自衛官」(主催・フジサンケイグループ)の表彰を受けた。

 「どの部活動にも、生徒個人にしっかり責任を負わせる考えがあった。責任があるからこそ、生徒自身が『こうしたい』と積極的に考えるようになる」

 高校時代を、こう振り返った。

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 工業大学の付属高校らしい活動もある。

 4月のある日、敷地内のロボット製作室に15人の生徒が集まった。生徒は11月に開かれる「高校生ロボット相撲全国大会」への出場を目指し、ロボットの設計などに取り組んだ。

 室内には、旋盤やコンプレッサー(空気圧縮機)など工作機械が並ぶ。安全を祈願する神棚もある。

 大会は、自作ロボットを力士に見立てて、相手ロボットを土俵から押し出す技術とアイデアを競う。ものづくりの楽しさと工夫を学んでもらおうと始まった。

 城東高校でロボット相撲への道を切り開いたのは、電子情報科主任、平田雅文教諭(55)=昭和56年卒=だった。

 平田氏は平成16年、教師として母校に戻ると、ロボット相撲大会への出場を打ち出し、生徒を集めた。

 ゼロからのスタートだった。当初、福工大の大学生が作ったロボットを借りて、生徒に見せた。

 「君たちがこれを作るんだ」。生徒にわくわく感を持たせた。

 生徒はロボットの素材を探して、ホームセンターに通い詰めた。他校とも情報交換しながら、生徒自身が考えに考えた。

 「手作りの独創的な技術こそが、人の役に立つんだ」。平田氏は生徒の製作作業を見守り、指導した。

 大会に出る際には「ものづくりは完成すれば終わりではなく、熟成させなければならない。ロボット作りの熟成具合を、ロボット大会が証明するんだ」と言い聞かせた。

 平田氏の指導の成果と、生徒の努力があって、城東は平成16年から、ロボット相撲全国大会に14年連続で出場している。

 校長の佐伯氏は「卒業後、ずっと自慢できる学校」を掲げる。城東は、そんな高校に一歩一歩近づいている。 (村上智博)

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