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仙台「正論」懇話会、阿部雅美氏講演要旨

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 北朝鮮による日本人拉致事件の取材を始めて今年で40年目だ。国民が拉致を認識するようになるのは、平成9年の横田めぐみさんの拉致報道からだ。昭和55年に産経新聞が初めて拉致疑惑を報じたが、認識するまで17年もの差があった。

 当時は「北朝鮮がそんなひどいこと(拉致)をするはずがない」「虚報だ」と言われ、メディアからは無視された。拉致が話題になることはなく、55年から63年までを拉致問題の「第1氷河期」と呼んでいる。

 第1氷河期が終わった63年に何があったか。3月26日の参院予算委員会で、当時の梶山静六・国家公安委員長が53年に福井県などで起きたアベック行方不明事件に触れ、「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と答弁。政府が初めて北朝鮮による日本人拉致の存在を認めた。

 しかし、この答弁をほとんどのメディアが取り上げなかった。産経新聞は1段(ベタ)記事を掲載したが、私は見落としていた。63年3月26日を「メディアが死んだ日」と自戒を込めて呼んでいる。

 拉致問題は63年から「第2氷河期」に入った。これが終わるのが、平成9年の産経新聞の横田めぐみさんの拉致報道だ。2月3日付の朝刊に横田めぐみさんの実名と写真を掲載した。実名報道にあたり、家族の了解は取らなかった。母親の早紀江さんは実名報道に反対だった。今年3月に「了解なしに実名報道したことをどう思うか」と早紀江さんに聞いたところ、「あれだけ動かなかったのが、一つの報道を通して動き始めた」と理解を示した。

 めぐみさんの拉致疑惑はメディア各社が報道したが、一気に関心が高まったわけではなかった。14年の当時の小泉純一郎首相の訪朝で、北朝鮮が日本人拉致を認めて謝罪し、被害者5人が帰国した。これを機に北朝鮮に対するメディアの視線が変わった。朝鮮民主主義人民共和国と呼ばなくなった。

 北朝鮮の工作船が日本海をわが物顔で行き来していたが、日本は海の守りをしっかりしていれば拉致は起きなかった。拉致という犯罪に対して、日本社会や政府、警察は何もしてこなかった。拉致を報じなかったメディアにも責任がある。

 今が拉致解決の最後のチャンスだ。しかし、北朝鮮が核を放棄することはあり得ない。日朝首脳会談の開催が取り沙汰される中、非核化されていない国と国交を正常化するのは容易な話ではない。

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