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【かながわ美の手帖】川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎の写真-採集と思考のはざまに」展

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 ■自分なりの関心、5万点の作品に

 川崎市岡本太郎美術館で開催中の企画展「岡本太郎の写真-採集と思考のはざまに」が興味深い。昭和45年に大阪万博のシンボル「太陽の塔」を制作して一世を風靡(ふうび)する太郎だが、それに先立つ時期には、カメラを持って各地を旅しては、関心が向いた対象を「採集」(撮影)していた。その数々の写真は、太郎が絵画や彫刻に込めた「思考」を探る手がかりでもある。

 ◆会場は回遊型

 太郎は戦前、仏パリに留学して民族学や文化人類学を学ぶ傍ら、多くの芸術家と交流を重ねた。画家だけではなく、ブラッサイやマン・レイら著名な写真家とも親交を結び、写真の手ほどきを受けた。

 本格的に写真に取り組んだのは戦後のこと。雑誌に寄稿する文章の挿図に、自身で撮った写真を用いた。

 今回の展示はその中の約200点。(1)道具(縄文土器、道具、手仕事、生活)(2)街(道、市場、都市、屋根)(3)境界(さかい)(階段・門、水、木、石、祭り)(4)人(人形、動物、子供、人、集い)-の4章18部にテーマ分類し、油彩約10点、彫刻約10点とともに紹介している。

 だが、分類はしてあっても、それぞれの写真にはタイトルが付されていない。「18枚の壁を並べて自由に回遊し、いろいろな解釈ができるようにした。自分なりのくくりで写真を見て、太郎について思索してほしいから」と、会場を構成した建築家の藤原徹平は言う。

 ◆眼が捉えた世界

 太郎の秘書だった岡本敏子(故人)は取材旅行に全て同行し、撮られた写真を真っ先に整理していた。敏子が著書に記している。《いったい、いつこんなものを見ていたんだろう、とびっくりさせられるし、(中略)岡本太郎の眼が捉えていた世界を、私はまるで見ていないんだな、といつも思った》と。

 藤原は会期中、写真が好きという芥川賞作家の柴崎友香を会場に招き、対談形式のレクチャーを行った。「特に風景描写が抜きん出ている」と藤原から紹介された柴崎は「小説のためではなく、写真そのものが好きで撮っている」と語った。

 レクチャーの中で、こんなやりとりがあった。太郎が出雲大社・本殿の屋根を撮った写真を映した後、柴崎が自身の写真ストックの1枚を示した。北京大学の屋根を撮ったもので、こま犬が乗っている。「屋根を作る人の持つ文化と、現地の風土とが出合い、特有の形となって表われる。そこが興味深い」。藤原が「僕も何度も北京に行っているけど、(その屋根には)気付かなかった」と、ぽつり。まるで、太郎と敏子が話しているように聞こえた。

 太郎は5万カットに及ぶ写真を残した。学芸員の佐藤玲子が解説した。「太郎が写真に記録したイメージが直接、絵画や彫刻に表われてくるというわけではない。でも、それはモチーフとして発展している。自分の“関心”が絵画や彫刻につながっていく、ということは見られるでしょう」と。=敬称略(山根聡)

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 「岡本太郎の写真-採集と思考のはざまに」は川崎市岡本太郎美術館(同市多摩区枡形7の1の5)で7月1日まで。午前9時半から午後5時(入館は午後4時半)まで。月曜日休館。観覧料は一般800円、高校・大学生と65歳以上は600円、中学生以下は無料。問い合わせは同館((電)044・900・9898)。

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【プロフィル】おかもと・たろう

 明治44年、漫画家の岡本一平、歌人で小説家のかの子夫妻の長男として本県高津村(現・川崎市高津区)に生まれる。東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学。パリ留学中、ピカソに感動して、抽象芸術グループに参加。絵画、彫刻、壁画などで前衛芸術の旗手として活躍。「芸術は爆発だ!」という言葉を残した。代表作に「太陽の塔」のほか、巨大壁画「明日の神話」など。平成8年に84歳で死去。

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