産経ニュース

米朝会談「金一族のため」 前橋で脱北女性講演 北に帰国の父は死ぬまで後悔

地方 地方

記事詳細

更新


米朝会談「金一族のため」 前橋で脱北女性講演 北に帰国の父は死ぬまで後悔

 史上初の米朝首脳会談から2日後の14日、前橋市大手町の群馬県政会館で、「脱北者の話を聞く集会」(群馬拉致議連主催)が開かれた。韓国人の父、日本人の母という共通項を持ち、2002年に脱北した女性2人が北朝鮮での過酷な実態や脱北の経緯、独裁政権への怒りを語った。 

 登壇したのは、荒川昌子さんと佐藤美子さん(ともに仮名)。

 荒川さんは1952年、埼玉県出身。11歳のとき、父の強い意向で帰還船に乗り北へ渡った。当時の日本国内では、北朝鮮を「地上の楽園」と表現して疑わない人たちが多くいた。「楽園へ行く」と口にしていた父はすぐに亡くなった。

 「金日成時代は、なんとか食べ物があった。せっけんも塩も、配布された。金日成が亡くなり、この世がおかしくなると思った」

 初めての脱北は失敗に終わる。中国へ向かうために川を渡っているところを捕らえられ、「牢屋」に連行された。金正恩朝鮮労働党委員長の父の金正日体制だった当時に脱北を試みる人が続出したため、連行先では「6畳の部屋に20人くらいいた」という。周辺で、毎日のように死体を目にしたことから「感覚がおかしくなった」と振り返る。

 2002年、中国国境にある流れの速い川の横断を再度試み脱北に成功。07年にようやく日本の土を踏んだ。「脱北できたことがどれだけ幸せだったか、今でも考える」と語る。

 佐藤さんは北朝鮮北東部の咸鏡北道(ハムギョンプクト)で1971年に生まれた。父は在日韓国人1世として日本で生活し帰還船で北へ渡ったが、「亡くなるまで自分の選択を後悔していた」。

 夫が韓国軍捕虜を捜索していたことから監視対象となった。父の影響もあって脱北を決意し、02年にシベリアに近い中国吉林省のキリスト教会で保護された。その後、脱北者を支援する「北朝鮮難民救援基金」の協力でタイへ渡航、11年に日本入国が許可され、現在は内装工事会社を経営している。

 北が「常識とは違う国」であると知ってほしいと願い、初めて自身の体験を口にした。12日の米朝首脳会談では「朝鮮半島の完全な非核化」で合意したが、佐藤さんは「私たちはそこ(北)に住んでいて出てきた者。現実をよく知っている。会談は本質的なことが語られたわけではない」と断じる。今後、複数回の会談を重ねても「金一族のための会談になってしまうのではないか」と危惧しているという。

 一方、4月27日に実現した南北首脳会談について、荒川さんは「とてもうれしかった。私の家族は今も北におり、会いたいし話したいことがたくさんある」と語り、「南と北は一つの民族。早く一つになってほしい」と訴えた。

 拉致議連と、被害者家族を支援する「救う会・群馬」が連携して実現した集会には、「北朝鮮難民救援基金」の理事長を務める加藤博氏も参加。北朝鮮の実態に精通し、同国から逮捕状を執行された経験を持つ加藤氏は、開催の観測が高まる日朝会談について「最初から厳しいやりとりをしなければいけない」と語った。