産経ニュース

【士魂を育む 今村裕の一筆両断】身命を賭して日本語守った外交官

地方 地方

記事詳細

更新

【士魂を育む 今村裕の一筆両断】
身命を賭して日本語守った外交官

 小学校での英語の教科化が平成32(2020)年度に始まります。30年4月から、3・4年生で年間15時間、5・6年生で同50時間の外国語活動が、新学習指導要領を一部前倒しする形で移行措置として実施されています。

 小学校の現場では、教える側の教職員研修を含め、さまざまな波紋を広げています。英語の教科化は経済団体の要望に「グローバル人材の育成」という形で応えたものといえます(詳しくは経団連平成23年6月提言)。本コラムの執筆者でもある施光恒氏には「英語化は愚民化」(集英社新書)という著書があります。

 いま英語教科化をめぐって学校現場で起きている混乱を見ると、敗戦直後にあった英語の強制的な日本国への導入構想に対し、ある人物の身命を賭(と)した抵抗という、あまり知られていない史実を思い起こします。

 昭和20年9月2日、東京湾に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号上で、大東亜戦争(太平洋戦争)の降伏文書の調印が行われました。日本の全権は外務大臣、重光葵(しげみつまもる)でした。調印のその夜、GHQが軍政布告を出すという情報が重光の耳に入りました。軍政が敷かれると、日本政府は事実上消滅します。日本は完全に主権を奪われ、占領地行政の下におかれます。日本人は何一つ、自分たちの意思で決定できなくなるのです。

 布告案1項目の終わりに「(軍政中の)公用語は英語とする」との一文がありました。

 重光は翌3日午前、マッカーサー元帥とサザーランド参謀長と直談判をし、GHQの軍政布告を阻止しました。詳細な経緯については、「郷土縁りの偉人重光葵」(国東高校伊予野上同窓会発行)、「勇断の外相重光葵」(阿部牧郎、新潮社)など他書に譲ります。

 もし軍政が敷かれていたら、公文書が英語記述になっていました。占領中に、学校教育だけでなく日常生活にまで、英語が浸食していっただろうことが容易に想像できます。強制は占領中だけだったかもしれませんが、一旦、英語が公用語となれば、さまざまな広い分野で既得権益が生まれます。占領終了後も、簡単には元に戻らなかったでしょう。

 短歌俳句などで、日本人の心や豊穣(ほうじょう)な自然も伝わらなくなったでしょう。人間心理の全てを表現しているといわれる「源氏物語」の世界も理解できないでしょう。日本語という日本文化の根幹が、浸食され崩されかけた場面でもありました。

 アメリカ(連合)軍の軍政を身命を賭して阻止し日本語を守った重光葵は、大分県杵築出身の外交官です。昭和7年にはテロに遭い片足を失っています。現在では全く注目されず忘れ去られていますが、世界初の人種差別撤廃を宣言した昭和18年の「大東亜会議」を企画しました。

 ミズーリ号上の調印の際には、その思いを『願くは御国の末のさかえ行き我名さげすむ人の多きを』と詠みました。極東国際軍事裁判(東京裁判)では、いわゆるA級戦犯とされ禁錮7年の判決を受け、収監されています。その後、仮釈放、減刑、刑期満了後は、日本国の国際連合加盟に際し、初の国連総会日本政府代表として「日本は東西の架け橋になる」という歴史的な演説をしました。

 ところで、6月になり雨の知らせがいっぱいです。これから2カ月間、8月15日の終戦の日に向けて、テレビや新聞は戦争に関する特集番組や特集記事が組まれていくでしょう。全国の学校でも「平和学習(教育)」という名称で「戦争や平和」について指導がなされています。

 テレビや一部新聞の特集、そして平和学習の内容が、戦前戦中戦後の日本が悪かったとだけ伝え、一方的に貶(おとし)めていると感じるのは私だけでしょうか。あたかも、多くの戦死者戦災者が出た状況を記念日扱いするような内容に、強い違和感を抱きます。

 重光葵を一例とするような、命を賭けて日本文化、日本国を守った肚がすわった先人がいたことを知らせ、日本を好きになり誇りがもてる特集番組や記事を見たいものです。そして素晴らしい歴史文化をもつ日本語で、読み書き話し考えることができる幸福をかみしめたく思います。

                   ◇

【プロフィル】今村裕

 いまむら・ゆたか 昭和31年、福岡市生まれ。福岡県立城南高校、福岡大学卒。兵庫教育大学大学院修士課程を修了。福岡大学大学院博士後期課程。公立小学校教諭、福岡市教育センター、同市子ども総合相談センター、広島国際大学大学院心理科学研究科などを経て、現在は大分大学大学院教育学研究科(教職大学院)教授。臨床心理士。