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「飛鳥史学文学講座」500回目 仁徳陵、明治に修復の可能性 宮内庁陵墓調査官が講演

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 昭和50年に始まった「飛鳥史学文学講座」(関西大学飛鳥文化研究所など主催)の500回目となる講演会が10日、明日香村中央公民館で開かれ、宮内庁陵墓課の徳田誠志陵墓調査官が「陵墓調査の30年-仁徳天皇陵はどこまでわかったか」をテーマに講演した。航空レーザー測量された仁徳天皇陵(堺市、大山(だいせん)古墳)の赤色立体図などを示しながら、前方部正面が明治時代に修復された可能性があることを指摘した。

 仁徳陵は国内最大の前方後円墳。大正15年の測量図や平成24年に実施された航空レーザー測量で、後円部など全体的に墳丘が崩れていることが判明。一方、前方部の正面(先端部)では、2段目のテラス部分がはっきりと見て取れるほか、石室と石棺が明治5年に見つかった経緯がある。

 仁徳陵の調査に携わった経験がある徳田氏は、こうした事実を踏まえ「前方部正面では地崩れの跡は観察できず、他と比較して妙にきれいすぎる」と言及。現在、石室の痕跡も確認できないが、修復に関係するとみられる階段状の石列が存在することを明らかにし、「明治時代に修復されたと考えざるを得ない」と結論づけた。

 修復時期については「明治5年以降で、(当時の)宮内省が仁徳陵を管理するようになる同19年以前」と推察。「堺県(現大阪府)が拝所(はいしょ)から見える前方部正面だけを修復した可能性がある」と述べた。この時期の仁徳陵修復に関わる資料は、宮内庁には残っていないという。

 また、墳丘が地崩れした原因について、波打つような崩落状況が観察されることから「地震の可能性が高い」としている。

 米国のボストン美術館には、一説に仁徳陵出土と伝えられる獣帯鏡や大刀の柄(つか)などが所蔵されている。だが、これらは6世紀前半の遺物の可能性が高く、墳丘の築造時期と合わないため「仁徳陵の出土品とは考えられない」と改めて強調した。

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 この日の講演会は、約160人が聴講。昭和50年から毎年参加している桜井市の中野益男さん(67)と、兵庫県伊丹市の福島敏雄さん(88)に表彰状が贈られた。

 中野さんは「考古学など幅広くいろんな話を聞くことができるのがこの講座の魅力。今回も楽しく聞かせてもらいました」。芝井敬司学長は「多くの人に支えられて500回を迎えた。これからも途切れることなく開催していきたい」と話した。

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