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鎌倉期の礎石建物跡が出土 貴族、武家の仏堂跡か JR京都駅南側 

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鎌倉期の礎石建物跡が出土 貴族、武家の仏堂跡か JR京都駅南側 

 京都市南区のホテル建設予定地から鎌倉時代初期に身分の高い貴族か武家が建てたとみられる、頑丈な礎石を伴った建物跡が出土した。調査した京都市埋蔵文化財研究所は仏堂の可能性があるとみている。この周辺は平安京遷都から目立った開発はなく、平安後期からにわかに起こった開発ラッシュに沿った遺構だといい、同研究所は「平安京内の開発や土地利用の歴史がわかる資料」としている。

 調査地は、JR京都駅の南側で、平安京では左京九条三坊八町にあたる。約750平方メートルを調査したところ、南北道・室町小路(現・室町通)と東西道・針小路の交差点の北西角から礎石を伴う大きな建物跡が出土した。一緒に出た土器から鎌倉時代初期に建てられたとみられる。

 規模は南北5間(けん)(11・0メートル、「間」は柱と柱の間)東西5間(12・4メートル)で、1間ごとにくまなく柱が立てられた総柱形式。礎石はすべて抜き取られていたが、もともと川が流れていて軟弱だった地盤を強化するため、厚さ約20センチにわたり拳大の石を詰め込んだ跡は残っていた。

 この結果、建物はかなり重量があったとみられる。さらに当時の記録が書かれた「中右記(ちゅうゆうき)」などに、平安時代後期から宅地に堂が建てられたという記録が残ることから、今回も仏堂の可能性がある。一方で高床倉庫も想定されるという。

 このほか建物跡の近くからは、平安時代後期とみられる長さ2・4センチ、幅3・1センチで、中央に穴が入ったガラス玉も出土。成分分析から中に含まれていた鉛は対馬産と分かり、当時は青色をしていた。同研究所は、今回の建物の装飾品に使われた可能性もあるとしている。

 このほか仏堂の南に面していた針小路が、路面の上層面を掘り込んだ後に拳大の石を積み上げて整えるという、これまでの道路跡ではみられない念の入った構造になっていたことが確認された。

 この周辺は、平安遷都当初から自然の川が流れていたため開発が遅れ、耕作地としても使われていた。しかし院政期にあたる12世紀ごろに開発ラッシュが始まり、それ以降、貴族や平氏、源氏などによる宅地化が進んでいる。

 同研究所は「道路の念入りな構造をみても重要な建物だったに違いない。仏堂ならば、法界寺・阿弥陀堂(京都市伏見区)のように堂の真ん中に仏を配し、周囲を経を唱えながら巡る常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)のような形式だったのでは」とみている。

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 今回の遺跡から出土したガラス玉などの遺物は、京都市考古資料館(上京区)で9日に始まる速報展で写真パネルとともに展示される。