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【平成の人気者はこうして生まれた】くまもん(2)お払い箱寸前から大抜擢

今年3月、くまモン誕生祭に出店した関連商品を取り扱うコーナー=熊本市中央区
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 ■「売るキャラ」に進化 無料使用を知事決断

 平成22年11月、熊本県大阪事務所次長の磯田淳(58)=現熊本県商工観光労働部長=に、相談が舞い込んだ。

 「くまモンをパッケージにあしらった商品を、作りたいんです」

 大阪府吹田市に本社を置く即席麺メーカー、エースコックの担当者だった。翌23年3月の九州新幹線の全線開業に合わせて、熊本のご当地料理を使った「スープはるさめ太平燕(タイピーエン)」を全国発売する。ついては、パッケージにくまモンを使いたいという申し入れだった。

 この相談が、窮地のくまモンを救った。

 熊本の良さを県内外に伝える「くまもとサプライズ!」のキャラクターとして誕生した。関西で熊本をアピールする「KANSAI戦略」終了と同時に、その役目も終える予定だった。「お払い箱」になるはずだったのだ。

 だが、くまモンは大阪で話題となりつつあった。エースコックは、そのゆるキャラに目を付けた。

 磯田は「全国に熊本のPRができる。しかも県は一銭も払わない。こんないい提案はない」と考え、本庁に働きかけた。12月22日にはエースコックの担当者がサンプルを持って、熊本県庁を訪問した。

 23年3月7日、「スープはるさめ太平燕」の販売が始まった。カップの下部に、くまモンの顔の上半分が印刷されたパッケージ。これが有名企業とのコラボ第1弾だった。

 「スープはるさめ太平燕」は、東日本大震災による全国的な物流網の混乱で、最初の出荷分だけで終わった。

 だが、磯田らに成功体験を植え付け、くまモンに生き残りの道を示した。

 「今度はこちらから働きかけよう」

 磯田はくまモンと一緒に、大阪市にある江崎グリコやUHA味覚糖の本社へ、くまモン商品の営業に行った。

 といっても磯田ら県職員に営業の経験はない。商品化よりも、「くまモンが営業活動に励む姿」を、県の広報に使うことが目的だった。

 民間企業のくまモンに対する評価は、熊本県職員の想像をはるかに超えていた。グリコのポッキー、味覚糖の「ぷっちょ」など有名商品にくまモンが採用された。

 「大手企業とウィンウィンの関係ができれば、行政の広告費では及びもつかないPR策が打てる」。磯田はうなった。

 お払い箱どころではない。熊本県は、くまモンを臨時職員から「熊本県営業部長」に大抜擢(ばってき)するストーリーを作った。

 くまモンは、単なるゆるキャラから、「売るキャラ」に進化した。

                 × × ×

 エースコックの商品企画が進んでいたころ、熊本県ブランド推進課審議員、成尾雅貴(60)=現熊本県東京事務所長=は悩んでいた。

 大阪だけでなく、地元・熊本の企業からも、くまモンを商品に使いたいという依頼が舞い込んでいた。成尾はイラストを所管していた県新幹線元年戦略推進室の担当者と、外部使用に何が必要かを調べた。

 他のゆるキャラの事例を調べると、商標登録と著作権をクリアしなければならなかった。

 滋賀県彦根市の「ひこにゃん」の場合、市と原作者であるイラストレーターの間で、使用方法をめぐるトラブルも発生していた。

 熊本県は、デザインを制作したデザイナー、水野学(46)から、くまモンの著作権を買い取った。後の問題は、使用者から「ロイヤルティー(使用料)をいくら取るか」だった。

 ところが、熊本県知事の蒲島郁夫(71)の考えは違った。

 「織田信長が楽市楽座で経済を活性化させたように、くまモンを使って県民に儲(もう)けてもらい、熊本が元気になれば良いじゃないか。だいたい、くまモンはおまけだったんだ。おまけでお金を取るのはおかしいだろう」

 蒲島の経歴は特異だ。県内の貧しい農家で育ち、高卒で一旦、農協に就職するも、米ネブラスカ大学農学部に入る。その後、政治経済学に転じてハーバード大で博士号取得。東大大学院教授を経て、平成20年4月に知事に就任する。

 破天荒な道を歩んだ蒲島から見た県庁職員は、「横並び」「事なかれ主義」に毒されていた。

 職員の意識を変えたい-。知事になった蒲島は常々、「皿を割れ」と言い続けた。

 「触らなければ皿は割れない。割っても良いから、とにかくたくさん皿を洗おう」

 「リスクを恐れずチャレンジするんだ」ということを、表現した。

 くまモンのロイヤルティーも「『他の自治体が取っているから取る』という発想はやめよう」と無償化を打ち出したのだった。

 この決断が、ある企業を救った。

                 × × ×

 「これだ! くまモン仏壇を作ろう」

 輪島漆器仏壇店(熊本市西区)社長の永田幸喜(56)は22年12月、くまモンの無料使用を伝える新聞記事を読み、興奮した。

 店は廃業の危機にあった。九州の大手チェーンの攻勢にさらされ、安価な中国製仏壇にも追い詰められていた。「くまモンを使えば、マスコミを呼べるかもしれない。話題になれば一息つける」。使用料タダは、窮地の会社にとって福音だった。

 金はかからないが、県の許可が必要だった。永田は県庁を訪れた。

 「だめ。ばちが当たりますよ」。相手にもされなかった。

 諦めなかった。イメージ図を描き、10日ほど県庁に通い続けた。

 「熊本の仏壇市場は、県外資本の草刈り場になっている。くまモンの力が必要なんです」。懸命に訴えた。

 熱意が通じ、許可第1号を獲得した。23年1月、くまモンのイラストを使った仏壇の開眼法要を挙行。狙い通り報道各社が取材した。

 仏壇は、なかなか売れなかった。それも織り込み済みだった。「マスコミの力を借り、くまモンのファンにも注目されて、店の知名度が随分と上がるだろう」

 現に、店の名前が広まったことで、業績は幾分回復した。倒産の危機は去った。

 多くのゆるキャラの場合、自治体などに一定のロイヤルティーを前払いする必要があった。売れるか売れないか分からない状態で、企業は二の足を踏む。

 だが、くまモンは無料だ。「とにかく使ってみよう」という企業が増えた。熊本県八代市の縫製会社、ユニックスも、くまモン関連商品で業績を拡大した。

 作業着や制服を主に取り扱ってきたユニックスは23年1月、くまモン入りのバッグやストラップなどの製造を始めた。熊本県の呼びかけに応じ、同年2月に大阪で開かれたイベントに出店した。

 「テントの前に人が群がっている…」。同社専務の岩橋香代子(63)は驚いた。

 くまモンバッグを箱から出すと、飛ぶように売れた。持参した商品は、2時間で完売した。

 「くまモン人気はすごい。これならやっていける」。岩橋はくまモンパワーを痛感した。

 ユニクッスは29年12月、縫製工場の一角を開放、1回1千円で「くまモンのマイバッグ制作体験」を始めた。八代港に着岸するクルーズ船の乗客をはじめ、国内外の熱烈なくまモンファンが体験に訪れる。

 くまモングッズの売り上げは、右肩上がりとなった。

 平成29年の売上高は1408億円で、前年を約10%上回った。特に中国や台湾、香港を中心とした海外分は約39億円で、前年から2倍以上も伸びた。

 「本日はうれしいニュースがある。くまモン商品の23年からの累計額が5千億円を超えた。おめでとう」

 30年3月20日。蒲島は定例の記者会見で、くまモングッズの販売額を発表した。「皿を割れ!」の精神を体現した孝行息子を、褒めたたえた。(敬称略)

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