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伊賀衆と甲賀衆、「忍者」連携文書初公開へ

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 伊賀市は、「忍者の里」の伊賀衆と甲賀衆が織田信長に侵攻される直前に密接な関係にあったことを示す戦国時代の文書を、6月中旬にも初公開する。専門家は「民衆の高い自治能力を示すとともに“リアル忍者”に迫る貴重な史料。実物を見る価値は大いにある」と話す。

 文書は、9通からなる「伊賀国上柘植村(いがのくに・かみつげむら)并(ならびに)近江国(おうみのくに)和田五反田村山論(わたごたんだむらさんろん)関係文書」の中の「甲賀郡奉行惣・伊賀奉行惣連署起請文(きしょうもん)」。天正元(1573)年に地侍集団の「伊賀惣国一揆(そうこくいっき)」と「甲賀郡中惣(ちゅうそう)」が、燃料や飼料となる柴や草を採取する境界域の入会地(いりあいち)の利用に関する取り決めが記されている。

 一方、信長が伊勢国の平定に着手した永禄12(1569)年の制定と推定される伊賀惣国一揆の掟書(おきてがき)には、軍事的に協力することが記されている。敵軍が伊賀国に侵入した場合は鐘を鳴らし、17~50歳の住民は参集することや、伊賀国と甲賀郡との境界で近日中に野外集会を開くといった内容だ。

 今回の起請文はその4年後のもので、三重大学の藤田達生教授(日本史学)は「大名権力による存亡の危機の中で伊賀と甲賀が一致団結し、軍事だけでなく日常生活に関わる自治が機能していたことを示す無二の史料。自治能力の高さは他国で出稼ぎをする雇い兵を生み、忍者が活躍する背景にもなった」と指摘する。

 しかし、起請文が作成された翌年の1574年に甲賀郡中惣は信長に攻略され、1581年の第2次天正伊賀の乱で伊賀惣国一揆は信長の徹底的な焦土作戦で壊滅した。

 文書は、郷土史料収集家でもある岡本栄市長が平成28年12月、京都の古書店から送られてきた目録に同文書があるのを発見。市が65万円で購入、市文化財に指定した。所蔵する上野図書館(上野丸之内)で一般公開する。

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