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【静岡・古城をゆく】深根城(下田市稲梓) 広大な戦闘域持つ城郭か

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 伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆乱入で最も熾烈(しれつ)を極めた戦いは、下田市北部の稲梓郷を本地としていた関戸播磨守吉信であった。関戸氏は、足利茶々丸を擁した伊豆守護山内上杉氏に仕え、この地の代官であったという。

 明応7(1498)年8月、その戦いは『北条五代記』に伝わる。

 関戸氏は深根城に手勢200と雑兵500で立て籠もり、早雲勢は2千にて松崎に上陸し、深根城へと向かった。城は西一方に堀を掘り、逆茂木に引き門と櫓を構えていた。早雲勢は周辺の農家100軒ほどを打壊し、その廃材で堀を埋めて攻め立てた。関戸吉信は長刀で応戦したが、優れた寄手には通ぜず吉信父子は討たれ、城内の兵のみならず女童子法師まで一人残さず首を斬られ、城の周りに1千余の首を掛け置いた-とされる。

 圧倒的な戦力で攻め立て、その後の“敗戦処理”も情け無用の仕打ち。早雲の極悪非道的な一面を見るようだが、これは後世の創作なのかもしれず、このような凄惨(せいさん)な仕打ちは抵抗勢力への見せしめであったとみるべきだろう。

 深根城址は、稲生沢川南岸の堀の内という丘陵にある。東・西にわたる入谷が防御線になるももの、とても要害地形とはいえずで、取り巻く背後地の丘陵が高く、ともかく戦う城郭ではない。現在、数件の民家と畑地の開墾で遺構は見られないが、北の稲生沢川に下る中腹が大手道か、腰曲輪と城道が認められる。このような地理的環境から、城には疑問をもっていた。

 近年、城西域の荒増地区の背後に戦闘的な山城が発見された。「荒増の城山」と名付けられ、立派な堀切と土塁が付属する曲輪は良好に残存する。ここが詰の城で、戦時に機能していたとみられる。これを裏付けるように、背後地には「大鐘」「物見岩」なる地名もあり、広大な戦闘域を持つ城郭であったことが納得できた。なお、深根城西の槇ケ谷地区に茶々丸夫婦の墓所がある。

 (静岡古城研究会会長  水野茂)

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