PR

地方 地方

【被災地を歩く】石巻の十三浜 漁最盛期のワカメの浜、それぞれの道

Messenger

 宮城県石巻市北上町の十三浜では3月から4月にかけて、ワカメ漁が最盛期を迎えている。漁場は北上川の河口から観光地として知られる神割崎近くまでの太平洋沖合。真水と海水のバランスがよく、適度な波がある場所で養殖されたワカメは肉厚で歯応えを感じられ、香り豊かなブランド品だ。

 十三浜の漁港の一つ、大指(おおざし)漁港を訪ねると、漁業生産組合「浜人(はまんと)」の代表、西條剛さん(64)たちが岸壁に座り、生食用ワカメから堅い茎などをはずす作業を行っていた。

 「今年は値段はいいけれど、数量が少なかったね。(シーズン前半に水揚げする)早種の6~7割が芽落ちしてしまった。3月下旬から水揚げされる遅種は量的には平年並みになったけれど」(西條さん)

 ◆販路独自で開拓

 東日本大震災後、ワカメ漁再開を諦める漁師も多い中、西條さんたちは「一人では無理でも仲間と集まれば」と漁業生産組合を立ち上げた。通販も含め、販路も100%独自で開拓、「相場に関係なく付加価値がつけられる」ようにした。ワカメ漁は1月10日頃から5月初めまで。その後コンブ漁に入る。

 形変え続く難題

 震災で沈降した岸壁はかさ上げして修復されたが、ここ数年は再び隆起、船を付けづらくなったそうだ。「漁師にとって船購入は補助金が出たとしても楽じゃない。漁船保険の掛け金も上がったから」。形を変えながら続く難題。克服への努力は続いている。

 漁港入り口には古びた碑が根元を新しいセメントで固められて立っていた。刻印された文字は「地震があったら 津浪の用心」。昭和8年3月3日の昭和三陸地震の津波を教訓に、翌年建立されたものだ。近くにワカメ加工工場を持つ遠藤市男さん(68)は「子供の頃から地震があったらあそこに上がるように言い聞かされて育った」と、急坂を上った山道の踊り場部分を指さした。

 坂を上がった高台に、海を広く見渡せるベランダを持つ民家があった。ワカメの養殖・加工などを営む「マルイチ西條水産」の西條覚社長(56)宅には震災後、シーズンになると、関西方面からのボランティアが1週間ずつ寝泊まりし、ワカメの刈り取りを手伝うようになった。

 この日滞在していたのは京都大の3年生。日の出となる早朝5時過ぎに沖に向けて船をこぎ出す。

 「メカブがワカメだと知らない若者も多い。さっと湯に通すと鮮やかな緑になって、驚きの表情をみせるんだ」

 震災後、支援者との交流にヒントを得て、餡(あん)にワカメを混ぜ込んだ「わかめ餃子」を開発。販売は好調で経営の一つの柱となった。

 大指の漁師たちも住んだ、国道398号沿いの応急仮設住宅は、今年中に撤去される予定だ。横には市の防災集団移転促進事業でできた「大指団地」があり、真新しい家が立ち並ぶ。ノンフィクション作家、山根一眞さんらの呼びかけで子供たちの遊びや学びの場にと作られた「大指十三浜こどもハウス」もそれらの一角にある。

 ◆高齢で引退も

 木の香りがただようハウスのドーム内部では、最盛期に40~50人ほどいた子供たちが、本やビデオを見たりと盛んに利用した。今ではその数も少なくなり、来年以降にハウスが残るかは未定という。

 宮城県漁業協同組合の北上町十三浜支所、武山さち子支所長(55)によると、昨年のシーズン(1~5月)に同支所が取り扱ったワカメは、管内7つの漁港で生にして約1800トン。約3割が生で出荷、残りを塩蔵加工している。大指以外の浜の多くでは、高齢で引退する漁師もこのところ増えている。

 「震災後には今までなかった目線で取り組む人が増え、その分漁協への出荷が減った。補助事業など成り立たせていかねばならないので悩ましい」。ワカメの浜はそれぞれの道を歩き出していた。(高梨美穂子)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ