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田中正造に「鬼神を泣かせる漢詩作る」と評された碓井要作 小山で企画展 地元の水害対策に尽力

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 足尾銅山からの鉱毒対策と地元の洪水対策で造られた渡良瀬遊水地だが、碓井は正造と共に当時の河川改修計画では洪水対策にならないと批判、遊水地造成のための谷中村廃村にも徹底して反対。正造死後も旧谷中村民に寄り添った。

 同展では、佐野市郷土博物館所蔵の書簡などを読み解き、足跡を追っている。

 ▼蚕種業、漢詩の才能

 生家は蚕種家。蚕の卵を生産して養蚕業向けに出荷し、日本の主要な輸出品、生糸の生産を支えた。碓井は幼くして父を亡くしたが、養父は大きな財産を築き、碓井も業界の重鎮として活躍。だが、米国が中国産の生糸を輸入するようになると、業界は苦境。碓井家の経済状態も悪化した。

 明治時代末期、県議選で2回連続当選したが、その後は任期の短かった1回の補欠選挙を除いて落選を繰り返した。家業も振るわず、苦境の連続の人生。

 一方、漢詩の才能は正造に「鬼神を泣かせる作品を作る」と言わせたほど。知人も「早くに政治的野心を捨てていれば」。語句の選び方、韻の踏み方、力強い筆運びなどが評価された。

 展示資料は約60点。蚕種業資料や多くの詩、碓井の写真など関係者から小山市に寄贈、初公開資料も含まれる。また、正造や周辺の人物と碓井との交流を示す書簡など佐野市郷土博物館所蔵資料も多い。

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