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【評伝】福田浩一氏、難しい経営統合を成功し日本有数の地銀グループに

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 福田浩一氏は、山口銀行の営業のウイングを広島、福岡両県に広げ、預金残高9兆2千億円、貸出金残高6兆7千億円という国内でも有数の地域金融グループを育て上げた。人なつこい笑顔と性格で、経済界の重鎮の懐に飛び込み、時には反対を押し切るリーダーシップを発揮した。 (大森貴弘)

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 平成16年、51歳の若さで山口銀行頭取に就任した。まず取り組んだのが、広島県を地盤とする第2地銀、もみじ銀行との経営統合だった。

 県境をまたぎ、さらに地方銀行(第1地銀)と第2地銀の違いを乗り越えた経営統合だった。しかも持ち株会社という、地方銀行としては当時、珍しい経営形態を採用した。

 さまざまな難しい決断を要したが、地元・山口県の経済が縮小傾向にある中、営業圏を広げなければならないという思いが、あった。

 山口FG現社長の吉村猛氏(58)は、担当部長として、統合の実務を取り仕切った。持ち株会社の採用などさまざまな課題で、福田氏の最終判断を仰いだ。

 「少し考え込んで、『よし、これでいくぞ』と決断したときの顔が忘れられない。私自身も、胸がカッと熱くなったのを覚えている」。吉村氏はこう語った。

 18年にもみじ銀行を統合すると、23年に、支店分離という方式で北九州銀行を開業した。「北九州市に本店を置いた地銀がほしい」という地元の声に応える形だった。

 山口FGの基盤を築いた福田氏は、慶応大を卒業後、昭和51年に山口銀行に入った。総務や営業、国際部門など幅広い部署を経験し、頭角を現すと、「頭取候補」と目された。

 当時頭取だった田中耕三氏(91)は 福田氏に将来を見据えた「英才教育」を施す。

 平成11年、福田氏を香港支店長に抜擢(ばってき)した。もともと香港支店長は、若手の「登竜門」としての性格があった。

 香港の主権が中国に返還されて間もない、激動の時期だった。福田氏は国内外の支店長らを集めた報告会で、物おじすることなく、香港情勢について説明したという。行内での評価は高まった。

 華やかな経歴の一方、人柄は穏やかだった。広島の呉支店長時代は、若い漁師と酒を酌み交わした。

 下関市の前田晋太郎市長(41)は「私が30代の市議だったころから、お付き合いがありました。若手とも熱く政策論争していた。『若い者が頑張らないといけない』と励ましてもらった」と語った。

 生前の福田氏について、多くの人が「経済界の重鎮に本当にかわいがられた」と口をそろえる。“籠絡”された経営トップらは、親しみを込めて「じじ殺し」と呼んだ。

 「さまざまな立場の人から熱心に話を聞いていた。本も読むけれど、人付き合いの中から貪欲に知識を吸収する勉強家だった」。北九州商工会議所の利島康司会頭(76)=安川電機特別顧問=は、こう振り返った。

 公私ともに親しかった下関商工会議所の川上康男会頭(71)=長府製作所会長=は「人を引きつける魅力があり、リーダーシップも備えていた。ゴルフが大好きで、負けず嫌い。地元にとって本当に惜しい人を亡くした」としのんだ。

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