産経ニュース

【想う 8年目の被災地】4月 命の大切さを伝える時 消える爪痕、記憶の風化 岩手

地方 地方

記事詳細

更新

【想う 8年目の被災地】
4月 命の大切さを伝える時 消える爪痕、記憶の風化 岩手

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町では、県によると1275人が犠牲になった。吉里吉里地区の高台にある吉祥寺には、多くの人が身を寄せ、避難生活を送った。住職は地区の役員たちと避難所運営に奔走して、彼らの話に静かに耳を傾けた。

 「避難所生活では大家族のような運営ができました。震災発生翌日の平成23年3月12日の朝、250人で避難生活をスタートし、役割分担を決めました。正式な避難所ではありませんでしたが、人数だけではなく名簿付きで誰が何人ここにいると根拠を出して、紙を持って町に交渉しました」

 地区は5日間孤立した。寺の食糧をかき集め、備蓄米を炊いておにぎりをつくった。

 「年回忌に先祖を供養するため、檀家(だんか)が『お斎米(ときまい)』を納める地域の風習があります。150キロくらいはあった」

 避難所生活は体力的、精神的に過酷な状況だった。

 「困難な中でも周りを思いやる姿に勇気をもらった。3年過ぎてから、体調を崩したり、フラッシュバックがおきたりした。それでも、今も苦しんでいる人のことを思うと何でもない」

 当時、避難者に誓った約束があった。

 「とにかく何でも話を聞く約束をしました。ある男性は資格を持っていて、復旧作業に従事しなければならなかった。家は流され、お母さんは行方不明。誰も助けてくれない。自分はこれだけ地域のためにやっているのにと。しばらくたって、気になるところを捜索したことで落ち着いてくれました」

 葬儀の在り方に疑問を持つこともあった。県から紙1枚で土葬を指定された遺族の話には思わず憤った。

 「これだけ手を尽くしたけども何ともならない、という事情じゃない限り、何もいいことはない。要望の結果、火葬料は行政がもち、土葬はしないことになった。何かしてくれるのを待つのではなく、声を上げて行政にのってきてもらう必要性もあると思う」

 震災から6年、七回忌を過ぎたころから、記憶の風化にあらがう時期だと強く思うようになった。町では今年、震災の爪痕をとどめる町役場旧庁舎の解体が始まる。拙速だと警鐘を鳴らす。

 「見なければ絶対に雰囲気は伝わりません。町中にチリ地震をはじめとする津波の慰霊碑はあったけど、震災での避難行動につながっていないんです。あの建物を見たくないという声も多く聞く。でも、今すぐ判断すべきことではなかった」

 人は忘れる。そのスピードは思いのほか早い。

 「一関市の中学生に講演をしました。当時小学1年だったときの東日本大震災は覚えているけれど、その3年前の岩手・宮城内陸地震はうろ覚え。阪神大震災でどのくらいの人が亡くなったかは知りませんでした。たった二十数年で災害の記憶は薄れます」

 この町で生き残った自分は何を伝えていけばいいのか。

 「これからの大槌が何をすべきなのか、この先どうやって生き残っていくべきなのか、考えないまま時間が過ぎた。多くの命を失った町だからこそ語れることがある。人はいつ別れの時が来るかわからない。命は奪ってはいけない、自ら絶ってもいけないということを発信しなければならない」

 歴史に学ぶことが、残された人々が御霊(みたま)にできることだと考えている。

 「僧侶は亡くなった人に戒名をつけます。こういう時代を生きて、こういう人だったと。ある方に、戦死した大槌町の英霊録を見せてもらいました。写真、生年月日…。目で見ると、重さを感じた。ただ、戦争で何が起こったのか、それが必ずしも後世に伝わっていないことは、歴史が証明しています」(千葉元)