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戦艦「大和」沈没73年、呉で追悼式 乗組員顕彰引き継ぐ

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 旧日本海軍の戦艦「大和」が九州南西沖で沈没して73年となる7日、大和が建造された呉市の長迫公園(旧海軍墓地)で追悼式がしめやかに営まれた。参列した遺族ら約300人が、戦死した乗組員約3千人の冥福を祈って黙祷(もくとう)を捧げ「戦艦大和戦死者之碑」に献花した。

 追悼式は、遺族らでつくる「戦艦大和会」の主催。軍艦旗掲揚や黙祷に続いて、昭和16年8月から信号兵として2年間、大和に乗艦した同会の広一志会長(94)=呉市=が式辞を読み上げた。

 広さんは、人気を呼んだアニメ映画「この世界の片隅に」の一場面にふれ「信号兵が手旗信号を振る中、呉港に入港する戦艦『大和』の姿が描かれていたのは、私にとって感無量だった」としんみり。「散華された乗組員の忠魂・慰霊などの顕彰を、後生に引き継いでいくことは我々の使命」と述べた。

 参列者の中には、大和の乗組員として当時32歳で戦死した山中鶴吉さんの妻、恵さん(99)=東京都大田区=の姿も。次女や孫娘2人と一緒に訪れた恵さんは「戦争で亡くなった人の追悼と日本の繁栄を祈ります」と思いを込めた。

 妻らと一緒に和歌山県日高川町から訪れた農業、横川郁夫さん(84)は、大和に乗り込んでいた当時27歳の叔父、渡さんを亡くした。郁夫さんは「やさしい叔父だった。いま日本があるのは、戦争で国のために命を捧げた人のおかげ。若い人にもそのことを忘れないでほしい」と話した。

 大和は昭和16年、世界最大の戦艦として呉海軍工廠(こうしょう)で完工。20年4月7日、沖縄に向かう途中、米軍の攻撃を受け沈没した。乗組員3332人のうち、生存者は276人。会によると、その後73年がたち、沈没時に乗艦していた生存者は7人になっているという。

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