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【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】小田原城 早雲奪取の逸話は後世の創作

北条氏綱築城の小田原城は、現在の天守と本丸周辺にあったとされる=神奈川県小田原市
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 伊勢宗瑞(北条早雲)による小田原城攻めは、伊豆乱入2年後の明応4(1495)年9月が定説とされてきた。堀越公方を支援する関東管領の山内上杉顕定の重臣で、城主の大森氏頼と、その子・藤頼から早雲が城を奪ったとするものである。しかし、「鹿狩りの勢子に化けた早雲一隊が、小田原城の裏山から一気に攻めた」「1千頭の牛の角に松(たい)明(まつ)を結び付け、大軍に見せかけ落城させた」とするのは、後世の創作であった。

 近年の『勝山記』(『妙法寺記』)分析から、明応5年に小田原城で山内上杉氏・大森氏軍と早雲を支援する扇谷上杉軍との間で戦いがあり、早雲弟の弥次郎が援軍として派遣されていた。

 小田原城を含めた早雲の相模西郡平定は、確実な史料から、この明応5年から10年、文亀元(1501)年とする見解があり、戦いは長期にわたった可能性を示している。

 そして、その兵力に今川氏親の援軍もいたのであろう。早雲は氏親のことを「屋形様」と呼び、さらに明応3年の遠江三郡乱入を封切りに、今川軍の先(せん)鋒(ぽう)として遠江と三河まで軍事行動を繰り返していた史実をみると、早雲の戦国大名になるためのパワーが伝わってくる。

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