PR

地方 地方

【そして、志す】(4)三重から福島に移住の大内徹也さん・美千代さん

Messenger

 ■農業への思い 迷いなし

 仙台空港に押し寄せる津波、千葉県ではコンビナートが炎上していた。平成23年3月11日。大内徹也さん(41)と、妻の美千代さん(41)は三重県内の農協で勉強会に参加し、畑に向かうところだった。

 「まさか、原発がこんなことになるとは」

 飛び込んでくるニュースに将来への不安がよぎる。1カ月後の4月には福島県の果樹試験場で研修が始まる予定で、自宅の契約も済ませていた。福島で農業をやる。そう決断し、転身する直前のことだった。

 大内さんは大学を卒業した平成13年、大手スーパーに就職し、三重県内の店舗で青果の仕入れや販売にかかわった。妻の美千代さんともそこで知り合い、そのまま生涯を過ごすと考えていた。

 しかし、6年ほどたったころ、自分でも農業をやりたいと考えるようになった。「野菜でも、イチゴでも、農家から土づくりや栽培法のこだわりを聞いているうちに、自分も、と」。情熱に触発された。

 サラリーマンから農業への転身。美千代さんや両親は「生活が安定しない」と反対した。しかし、約2年間、家庭菜園にのめり込む大内さんの姿にほだされ、果樹産業が盛んな福島への移住を決めた。そんなとき、震災が起きた。

 「果物の値段が下がっている」

 23年4月。福島に入った大内さんらの耳に入ってきたのは、地元農家の心配の声だった。1キロ当たり約400円から500円台で推移していた桃は、最安時には167円に下落した。中国をはじめ、県産果物への禁輸措置をとる国も相次いだ。

 桑折町の農家で研修に取り組むなか、目にとまったのは、価格の下落にめげず、懸命に働く農家の姿だった。

 「県外に出るなんて、申し訳ない」

 最初はシャイ。それでも、打ち解けると、「三重からよく来てくれた」と迎えてくれる福島の人の優しさ。震災後の福島でのスタート。「ここで頑張ってみよう」。迷いはなかった。

 24年9月、福島市内に農園を開いた。土地探しには難航したが、幸い、前の持ち主が丹精を込めた桃畑を手に入れた。約150アールから始め、25年夏には約10トンの桃を収穫した。「やっていける」。自信を深めた。

 福島に根づいて、7年。いまは店を持ちたいと考えている。

 「果物を売るだけではなく、新規就農する人が集える場にしたい。福島で若い人が果物をつくる環境の力になりたい」

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ