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【平成の電気はこうして生まれた 新大分発電所】(3)LNG基地建設

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【平成の電気はこうして生まれた 新大分発電所】
(3)LNG基地建設

超低温に対応する技術が詰め込まれた大分基地のLNG貯蔵タンク 超低温に対応する技術が詰め込まれた大分基地のLNG貯蔵タンク

 ■技術と知恵、機能美備えた巨大プラント

 ■「安全が優先 ごみは残すな」

 多くの人がまだ、新元号に落ち着かなさを感じていた平成元年3月、大分市で建設中のプラントに、国の検査官が入った。LNG(液化天然ガス)を貯蔵する大分LNG基地の大型タンクや配管の検査だった。

 天然ガスをマイナス162度という超低温で、液体にしたものがLNGだ。基地の設備は、この超低温に耐えなければならない。

 検査官は、巨大タンクや配管の溶接部分などに石鹸(せっけん)水を垂らし、一カ所ずつ漏れがないかを調べる。数日にわたる検査の様子を、建設に携わった九州電力グループやプラントメーカーの関係者が、見守った。

 最終的に基地は検査に合格し、平成2年に完成した。建設には、関係者の技術と知恵を結集した。九州電力火力部の瓜生道明(68)=現社長=もその一人だった。

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 昭和61年7月、九電新大分発電所で使うLNGの受け入れや貯蔵、気化を請け負う会社として、九電と大分ガスが共同出資し「大分エル・エヌ・ジー」が設立された。

 九電火力部は、ガス基地のノウハウを持つ東京ガスや千代田化工建設などの知見を借り、設計に着手した。

 30万平方メートルの敷地に、まず、8万キロリットルのタンクを3基設置する計画だった。メーカーは、石川島播磨重工業、川崎重工業、トーヨーカネツだった。大分エル・エヌ・ジーへ出向した瓜生は、詳細な設計作りに、メーカーと打ち合わせを重ねた。

 九電がLNG基地を建設するのは、新小倉発電所(北九州市)に続き2例目だった。プラントメーカーも建設ノウハウを持つ。

 それでも、巨大プラントを建設するのは簡単ではない。採用する工法や、部品の調達先など、検討事項は多岐にわたった。

 検討の中で、あるバルブを北九州市にある「岡野バルブ」に発注することになった。九州の電力会社として、九電には地場企業を育てるという使命がある。

 岡野バルブは、発電所向けバルブ最大手だ。九電との付き合いも深い。といっても、超低温に堪えられるバルブを製造するには、高度な技術を必要とする。

 「バルブは一度取り付けたら、タンク内のLNGを全て抜かない限り交換できない。問題が起これば一生悔やむことになる」

 瓜生は、試作品が完成するたびに岡野バルブの工場に出向き、確認に当たった。試験装置を凝視する瓜生の目は、厳しかった。

 タンカーで運ばれたLNGは、基地のタンクでいったん貯蔵する。必要な分だけ気化して、発電所の燃料とする。基地内にはマイナス162度のLNGや、ガスが通る金属管が張り巡らされる。

 配管にも、LNG特有の対応が求められた。配管の外部から熱を受けると、LNGの一部が気化し、ガスが発生する。配管上部からガスを抜くのだが、配置が重要だった。

 設計を煮詰めるたびに、こうした課題が浮かび上がってくる。構造物のレイアウトが変更になれば、それを支える基礎部分に必要な強度も変わってくる。

 「そんな変更をしたら、金もかかるし、工期も延びるぞ」。基礎構造を担当する土木部社員が、瓜生に食ってかかった。

 言い分は理解できたが、譲れなかった。

 「LNGを扱う上で最も大切なのは安全の確保だ。予想される事象を想像しながら、設計を詰めなければいけない」との思いがあった。

 九電は余念なく、安全対策や防災態勢を築いた。大分県と協議の上で、耐震基準を上乗せした。県の基準より、1・5~2倍もの水準に耐震性を高めた。それでも地震でタンクが倒壊し、LNGが全量あふれ出た場合の、対策を模索した。

 「万一のことが起きても、LNGの拡散を基地内に収める。これが鍵だ」。瓜生は、シミュレーションを繰り返した。

 一方、地元ではLNG反対の動きもあった。

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 「LNGは爆発の危険性がある。基地建設反対!」

 新大分発電所の建設計画が進んでいた昭和57年ごろ、九電大分支社に、労働組合などでつくる団体が詰めかけた。

 反対派が手にしていたのは、LNGの危険性を指摘する「フローズン・ファイア」という英書だった。

 LNGが米国で実用化され始めた昭和19(1944)年、同国北東部の都市クリーブランドで大事故があった。貯蔵タンクから大量のLNGが流出した。気化した可燃性ガスが、雲のように拡散、そこに着火し、広範囲で爆発した。128人もの死者を出す大惨事となった。

 クリーブランドの事故から約40年。日本でのLNG普及は途上であり、知識も十分に広がっていなかった。反対派は大分支社前に座り込み、説明会の開催を申し入れた。

 火力立地部主任の二宮千治(74)が対応した。立地部は、建設用地の買収交渉や、住民への説明を担当する部署だ。

 反対派と九電社員が、長机を挟んで向き合った。

 「LNGが爆発すればキノコ雲ができる」「タンクの安全対策は十分なのか」。反対派は口々に訴えた。

 二宮は、説明会に技術に精通した社員を呼んでいた。タンクの構造や安全対策を説明し、疑問に一つ一つ答えた。

 カッとなる反対派に、九電社員は「冷静に」とお願いしながら進行した。

 数時間がたっただろうか。説明会は終わった。その後、大きな反対運動が起きることはなかった。「技術屋がしっかり説明したから理解してもらえたのだろう」。二宮は心からほっとした。

 立地畑の二宮は、過去の発電所建設で、幾度となく住民から怒鳴られた。その度に、丁寧に説明し、信頼関係を築いた。

 「新しい技術を最初に導入するときは反対もある。でも、否定されることで、さらに安全性を高めるなど、技術の進歩にもつながる」。二宮は実感していた。

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 設計がまとまり、LNG基地の建設が始まった。大量の資材が船やトラックで次々と届いた。

 タンクは直径60メートル、高さ42メートルにも達する。土台完成後、側面の鋼板が、徐々に組み上がっていった。

 LNGタンクは、魔法瓶のような構造になっている。超低温に強い9%ニッケル鋼が使われる。側板は二重で、その間には、断熱保冷剤と窒素ガスが封入される。ニッケル鋼をつなぐ溶接は、完璧でなければならない。溶接後には、厳重な検査が行われた。

 屋根部分はタンクの底でつくり、大型送風機で空気を吹き入れ、浮き上がらせる。675トンの巨大屋根が、1分間に30センチの速度で少しずつ浮上し、タンクの形が完成した。

 瓜生が気を配った安全対策も、さまざまな形で結実していた。

 LNGの外部流出を防ぐ防液提が、タンクをぐるりと巡っている。

 気化したガスに対しては、水で流出を防ぐ。数十メートルの高さに水を噴き上げ、水の幕を作る装置が設けられた。泡で断熱し、LNGの気化を止める施設もある。まさに、二重三重の対策を施した。

 どれだけ精巧な防御装置を設計しても、作る過程でミスがあっては、想定通りに機能しない。瓜生は建設現場で目を光らせた。

 「ごみは絶対に残さないでくれ!」。瓜生は声を上げた。指示するだけでなく、白手袋をはめ、配管の内部に直接触れて、ごみが残っていないかを確かめた。

 神経質になった理由がある。他社の発電所で、配管のごみが原因で施設のポンプが壊れ、トラブルを起こしたケースがあった。

 タンカーと陸上タンクを結ぶ配管橋は、日立造船の有明工場(熊本県長洲町)で造っていた。瓜生は現地に足を運び、「無菌状態で作業してほしい」と頭を下げた。無菌はもちろん例えだが、それほどの清潔さを求めた。

 日立造船も瓜生の要請に応じた。泥などが入らない建屋を作り、作業にあたった。組み上がった配管橋は船に載せ、大分に運んだ。

 瓜生らが設計したLNG基地が、徐々にできあがっていく。配管のレイアウトを眺めながら、瓜生は「美しい」と感じた。

 整然とした設備は、機能もしっかりしている。反対に、丁寧に配置されていない施設は、後で必ずトラブルを起こす。技術屋の直感だった。大分LNG基地は、機能美を備えていた。

 瓜生は人事異動で平成元年7月、九電本社に戻った。基地完成を見届けることはなかったが、大分の地で、安全を実現する技術とノウハウを学び取った。

 2年4月、大分LNG基地が稼働した。LNGが入り、新大分発電所の試運転が始まった。(敬称略)

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