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【自慢させろ!わが高校】山口県立豊浦高校(上) 体育会系行事

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【自慢させろ!わが高校】
山口県立豊浦高校(上) 体育会系行事

 ■心と体鍛える名物「強歩大会」、30キロひたすら歩く

 昨年12月8日。高校の外周を、生徒が白い息を吐きながら駆け抜けた。たすきを次走者に渡すと、その場に倒れ込む生徒がいる。周囲から「頑張れ」と声援も飛ぶ。

 山口県立豊浦(とよら)高校(下関市長府宮崎町)の冬の恒例行事で、44回目を数える「部対抗駅伝」だった。

 「駅伝も頑張ったけれど、受験勉強も頑張っていきましょう!」

 優勝した陸上部のキャプテンが、閉会式でこう宣言した。生徒は「おーっ」と声を出し、拳を突き上げた。

 母校・豊高(とよこう)で社会科を教える富家(とみいえ)章治氏(50)=87期=は、この部対抗駅伝で人生が変わった。

 野球部に入っていたが、レギュラーの座は遠かった。2年生の冬、駅伝での快走が、陸上部監督の目にとまった。下関市駅伝大会の選手に抜擢(ばってき)され、社会人も出走する大会で、区間2位の成績を収めた。

 自信がついた。龍谷大に進学し、陸上部を選んだ。長距離走のキャプテンとして、関西学生対抗駅伝で総合7位に入った。教師と陸上指導者の道を目指し、平成25年から、母校の陸上部監督を務める。

 「速さを競うだけじゃない。運動が不得意な生徒も一生懸命走り、周りも伴走したり声をかけたりしてサポートする。培われた自信と団結力は、生徒の財産になると思うんです」

 富家氏は目を細めた。

 この駅伝の創設者は、第18代校長の山本守氏だった。

 「伝統ある男子校にふさわしい、『鍛える豊浦』を目指す」

 山本氏は昭和49年に着任すると、明快な方針を打ち出した。文化部も含め、部活動の冬季トレーニングとして、駅伝は始まった。

 名物行事「強歩大会」も山本氏が始めた。「競歩」ではない。約30キロの距離を、ひたすら歩く。

 50年11月に始まった。今はもちろん、当時でさえ珍しかったとみられ、毎日新聞は「歩け歩け33キロ やる気育てる“強歩大会”」との見出しで、地域面トップで記事を載せた。結果は、全員が完歩した。

 コミュニティエフエム下関の冨永洋一社長(58)=79期=は、入学した年が、初回に当たった。

 「疲れたんでしょうけど、高揚感の方が印象深い。自分の経験値を伸ばしてくれた気もします。ただその後、バスがストライキで動かなくても、『強歩大会をやり遂げたんだから』と、歩いて通学させられたのは余計でした」と笑う。

 以降、毎年秋、コースを変えながらも強歩大会は続く。

 昨年も、周防灘沿いの学校から、山間部の内日(うつい)地区まで往復する行程を、生徒は歩き抜いた。

 3年生の田中壱歩さん(18)は「1年生のときは、歩いても歩いてもゴールに着かず、友達と会話する気力もなかった。でも今回は、友達と『走っていこーや!』って競走しました」と語った。

                ■ ■ ■

 こうした「体育会系」エピソードは尽きない。

 長府製作所の川上康男会長(71)=66期=は、とにかくスポーツ行事が多かったことを覚えている。

 「クラス対抗で柔道の団体戦をやったなぁ。僕はそんな強くなかったわけ。柔道経験者から『勝たなくて良いから、引き分けに持ち込んでくれ』といわれて臨んだら、10秒も持たず1本負け。でも、スポーツは好きだったし、楽しかった」

 川上氏の胸中には、1年生の「通過儀礼」だった応援練習も鮮明に残る。

 「プールサイドに並んで、昔ながらの制帽を振ってね。今もやっているのかな?」

 もちろん、今もやっている。

 入学式翌日、プールサイドに並び、練習が始まる。「オスッ」と声を合わせ、制帽を上下に振りながら、校歌を歌う。

 帽子を振るタイミングや、歌詞を間違えたら大変だ。指導役の応援団員から「前に出てこい!」と声が飛び、“対面レッスン”が始まる。倒れる生徒もいるほどの激しさだったという。

 「男子校でバンカラだと思って入学したが、まさかここまでとは…。相当びびりました。先輩が横をうろうろしていて、本当に怖かった」

 田渕建材の田渕隆祥常務(51)=86期=は、こう振り返る。

 1月には、耐寒訓練もある。

 3学期の始業式翌日から3日間、授業前の早朝に1、2年生が黙々と外周を走る。正月休みで乱れた生活を直そうと、20年以上前に始まった。

 半袖半ズボンの体操服姿の男子生徒も目立つ。しかも、今では珍しいタンクトップタイプだ。寒くても、ジャージーを着ない「やせ我慢」が格好良い。

 「最初はださい体操服だと思ったが、今ではむしろ誇らしい。今年もタンクトップで走り抜きました!」

 生徒会長の杉本駿さん(17)は笑顔を見せた。

 豊高は旧制中学校として発足し、戦後の一時期をのぞいて男子校を貫いた。公立高校では極めて珍しく、独特のカラーを生み出した。平成15年度に男女共学になったが、独自色は受け継がれている。

 友沢邦昭校長(59)はこう語った。

 「自分の価値観が転換するような強烈な体験を経て、わずか1年で、中学生からみるみる大人になっていく。2、3年生からみれば、鍛えて豊高生に『していく』という感覚かもしれません」

  (大森貴弘)