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【自慢させろわが高校】佐賀県立佐賀西高校(上)「考える力」で世界を牽引

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【自慢させろわが高校】
佐賀県立佐賀西高校(上)「考える力」で世界を牽引

多様な人材を輩出してきた佐賀西高校の校舎=佐賀市城内 多様な人材を輩出してきた佐賀西高校の校舎=佐賀市城内

 平成11年、野球部は苦境にあった。試合ではない。ユニホームに施された文字「EIJO」に対し、日本高校野球連盟(高野連)が難色を示したのだった。

 佐賀西高校の源流である藩校「弘道館」は、佐賀城内にあった。佐賀城は「栄(さかえ)城」とも呼ばれる。佐賀西高校は、前身の旧制佐賀中学校や佐賀高校時代から、栄城を音読みした「えいじょう」を、さまざまな場面で使ってきた。今も同窓会には「栄城」の名が付く。

 野球部のユニホームは大正10(1921)年、主将だった伊丹安廣氏(1904~1977)がそれまでの「SAGA」から「EIJO」への変更を提案し、採用された。

 伊丹氏は戦後、さきの大戦後に米軍に接収された神宮球場(東京)の返還など、学生野球の発展に尽くした。その後、神宮外苑長として、球場補修にも汗を流す。没後の昭和53年、野球殿堂入りした。

 ところが、平成になってこの「EIJO」が高野連のルールに引っかかった。

 当時、新しいデザインのユニホームが全国で誕生していた。高野連は、ユニホームに付ける文字を「校名や校章、地名に限る」との通達を出した。EIJOはこのいずれにも該当しない。

 「歴史と伝統のあるEIJOを絶やしてはだめだ」

 当時、佐賀県高野連の理事長だった田中公士(こうし)氏(76)=佐賀高11回生=は、関係者の説得に走った。

 田中氏は平成6年夏、佐賀商監督として、佐賀県勢初の優勝を果たした。高校野球界では顔も広い。

 伊丹氏が日本野球界で果たした功績の大きさもあり、「EIJO」は、例外的に認められた。

 そんなユニホームにあこがれ、主将の山本晃誠(こうせい)さん(17)は野球部に入った。

 「EIJOのユニホームは、佐賀で野球をする皆のあこがれ。チームメイトの多くも同じ思いで受験した。このユニホームで汗を流せる。生涯の誇りです」

 バックネット裏には、EIJOの考案者、伊丹氏の功績を記念し、「一球無二」と刻まれた石碑がある。「ツーストライクに追い込まれた状況を考え、次の一球に臨む」。野球部は練習の前後、石碑に向かって一礼する。

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 野球部の練習のキーワードは「考える」だ。

 「君たちが得意な球を、相手投手にどう投げさせるか。それを考え、攻略するのが西高の野球だ」

 山田和人監督(47)=佐賀西高24回生=は、選手に呼びかける。

 その言葉は、野球にとどまらない。「高校生の君たちは、3分の2人前だ。20歳でも30歳になっても、人間は学び、考え続けるのが大事なんだ」

 選手は週に1度、自分らで話し合い、練習メニューを決める。

 龍谷大国際学部の清水耕介教授(52)=佐賀西高19回生=の現役時代もそうだった。「練習時間は少ない。その分だけ集中し、考えた。自主性に任されたことで、モチベーションは上がった」と振り返る。

 自律を重んじる。その原点は弘道館にある。佐賀藩士の子弟は、寮生活をしながら、自学自習に励んだという。

 「西高」の名称で親しまれる現在も、生徒の自律、自主性を重視する。

 松尾敏実校長(58)=佐賀西高13回生=は学校経営の計画に「主体的に考え、行動する人材を育てる」ことを盛り込んだ。松尾氏は「西高の生徒は佐賀県や日本、ひいては世界を牽引(けんいん)する使命を帯びている。答えのない課題に、しっかり向き合えるよう、『自分で考える』ことを求めている」と語った。

 フジテレビの西岡孝洋アナウンサー(42)=佐賀西高29回生=は高校時代、ハンドボール部に所属した。

 監督はいなかった。練習メニューも、試合での戦術も、選手が考えるしかなかった。他の強豪校の選手を練習に招くなど、工夫した。

 「スポーツも勉強も同じ。先生からある程度の指導は受けても、その先のレールはない。自分で必死に考えるくせがついた。今でも財産です」と語る。

 実際、西高の授業はユニークだ。受験勉強だけでなく、読書感想文のコンクールや英語での討論大会といった、「対外試合」を勧める。「全国高校クイズ選手権」の佐賀代表にも選ばれた生徒もいる。

 教師は毎月、授業や学校活動のアイデアを持ち寄り、話し合う。そこでは、生徒自らに考えさせ可能性を引き出すことや、経験を積ませ、世間の広さを自覚させることを、重視する。

 昭和30年代には、福岡県立修猷館高校と、互いの学校を訪問する交歓会が盛んだったという。

 小城羊羹(ようかん)で有名な「村岡総本舗」の村岡安廣社長(69)=佐賀西高2回生=は「生徒同士で、オクラホマミキサーを一緒に踊った。淡い思い出ですね」と懐かしむ。

 村岡氏は現在、栄城同窓会の会長を務める。高校時代、趣味の切手収集が講じ、国際文通にはまった。卒業時には25人とやり取りをするようになった。

 「ソ連の文通相手からロシア語の本を届けられたこともあった。文通を通じ、世の中の広さを知った。すべて、ユニークな校風が許してくれました」

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 原口一博衆院議員(58)=佐賀西高13回生=も、校風に親しんだ。

 国会内の議員控室に、一枚の絵を飾っている。高校の美術の授業で描いた作品だ。

 「好きな本一冊を読み、その感想を自由に描いてごらんと、先生にいわれた。トルストイ『戦争と平和』を読み、平和をどう作り出すのか自問自答しながら、絵筆を走らせた」

 以来40年。政治家になっても平和の意味を考え続ける。

 数学の試験では、忘れられない出来事があった。あるとき、教師が答案用紙の数式のそばに、中原中也の詩を添えた。

 「何の意味だろう?」

 数式と詩を何度も見返した。中也が生み出した言葉の美しさと同じように、無味乾燥だった数式から美しさを感じた。

 原口氏は生徒会長として「自由な校風であるはず。なのに、なぜこんなに試験ばかりして俺たちの時間を拘束するんだ。先生も試験をやった方がいい」と、ちゃめっ気たっぷりに訴えたという。

 選挙では原口氏と争う自民党の岩田和親衆院議員(44)も=佐賀西高26回生=も同窓だ。

 校長が生徒一人一人と面談し、親身になって話を聞いてくれたのが印象に残る。

 「落ちこぼれた生徒も、自己責任と突き放さず、生徒と教師全員で支え合う校風があった。今でも正門をくぐると、背筋がピンと伸びます」

 正門を巣立った卒業生は6万人を数える。(村上智博)