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五輪・パラまで2年 組織委理事で現役“水の女王”成田真由美さんに聞く 神奈川

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五輪・パラまで2年 組織委理事で現役“水の女王”成田真由美さんに聞く 神奈川

 ■人も街も変わるチャンス 目指す共生社会「優しさあふれる日本に」

 パラリンピックの競泳種目で通算15個の金メダルを獲得し、現役選手としてなお進化を続ける“水の女王”成田真由美さん(47)。国内外から多くのパラリンピアンを迎える2020年東京五輪・パラリンピックは「日本を変えるチャンス」と期待し、大会組織委員会理事として、バリアフリー促進や心の優しさの育成に努めている。川崎市出身の成田さんは今年「年女」。持ち前の明るさで、共生社会実現への“最前線”を進む。(聞き手 外崎晃彦)

                  ◇

 --東京大会で選手として活躍したいという思いは

 「いまは3月の代表選考会に向けて頑張っており、その先のことは考えていない。1年間、代表選手として選ばれることが目標。今秋ジャカルタで開かれるアジアパラ競技大会に出場し、メダルを取りたい」

 --リオ大会では日本新記録も出したが

 「パラリンピックは毎回、完全燃焼。リレーは共に戦った若い3人に対し、経験を東京につなげてほしいと思いながら臨んだ。個人種目も3種目で決勝に残り、日本新を出すことができた。もし悔いが残っていたら東京で晴らしたいと思ったかもしれないが、リオでは全てを出し切って大満足。心残りはない」

 ◆車いす「眼鏡と同じ」

 --車いすはいつから

 「中学1年の時に横断性脊髄炎を発症した。当初は病名が分からないまま発熱が続いた。点滴をして、痛みを伴う検査も続けているうちに、治らない病気だと分かった。入退院を繰り返し、中学3年ごろから車いす生活となった」

 --悲観はしなかったか

 「入院中、生きたくても生きられない子供たちを見届けるなかで、命について教わった。自分は死ぬ病気ではなく、視力の低い人が眼鏡をかけるのと、足が悪いから車いすに乗るのは同じことなんだと思えた。車いすがあればいろんな場所に行けるし、やれることもたくさんある。そう思えるまで時間はかかったが」

 --水泳との出合いもあった

 「23歳まで泳げなかった。当時、車いすバスケなどをするために通っていた横浜市内のスポーツセンターで、別の障害者の方から『障害者の水泳大会で25メートル泳げない?』と突然持ちかけられた。そこから1カ月間猛練習し、仙台市で行われた試合に出場した」

 --ただ、悲運が待ち受けていた

 「大会の帰り道、居眠り運転の車に追突された。左手にまひが残り、3本の指が開かなくなった。右手は普通に動くが、たまにしびれている。ショックは大きかったが、水泳に本腰を入れるきっかけの一つになったかもしれない」

 --きっかけとは

 「大会で一緒に戦った仲間が励ましてくれ、『この仲間たちと再び泳ぎたい』と思うようになった。事故後、横浜サクラ(現在も通う『横浜サクラスイミングスクール』)が受け入れてくれた。良いスイミングスクールと良いコーチに恵まれ、多くの大会で結果を残すことができた」

 ◆「何ができるか」

 --パラリンピックはアトランタ大会から4大会連続で出場したが、ロンドン大会(2012年)には選手申請しなかった

 「初めて観戦者の立場となって迎えたパラリンピック。日本ではオリンピックと比べて、報道がなぜこんなに少ないのかと感じた。自分が出場している間は、友人が『新聞見たよ』『テレビ見たよ』と言ってくれたが…。日本のパラリンピック報道は、ちょっとさびしいと思った」

 --その思いが再び世界の舞台へと向かわせた

 「東京大会開催決定を現地(ブエノスアイレスの総会)で見届けた。喜びと同時に『これがスタートだ』と強く感じた。オリンピックは選手も多く、自然に盛り上がる。でもパラリンピックの機運を高めるには、何かをしなくちゃいけない。自分に何ができるかを考えたとき、『もう一回選手として泳ごう』という思いがわいた。それがリオ大会出場につながった」

 --今後は理事の立場で大会を盛り上げたいと

 「パラリンピックはアトランタよりシドニー、シドニーよりアテネと、回を追うごとに知名度が上がり、近年は日本でも機運の高まりを感じている。20年はいよいよ東京。もっともっと盛り上げなくてはならない。いまは東京五輪・パラリンピックを契機に日本が変わるとき。変わらなきゃいけないときだ」

 ◆心のバリアフリーを

 --変革への課題は

 「前回の東京五輪(1964年)と同様、2020年に向けてどんどん建物ができ、街は大きく進化している。ただ、障害者にとって使い勝手が向上しているとはいえない。車いすやベビーカー専用のエレベーターも増えてはいるが、歩ける人が使ってしまい、障害者が優先利用できていないケースも目立つ。『心のバリアフリー』も必要だ」

 --心のバリアフリーとは

 「弱者に対しての優しさ、困っているところを見かけたら声を掛ける優しさがほしい。私が駅のホームで困っていたとき、見知らぬ黒人女性がスマートフォンで言葉を翻訳し、『何かお手伝いが必要ですか』と目の前にかざしてくれたことがある。そんな対応のできる人が日本人にももっと増えてほしい」

 --鉄道のサービスにも疑問を抱いている

 「ホームから改札までエレベーターがない駅がある。車いす・ベビーカースペースが何番目の車両にあるのか、電車が到着するまで分からないことも多い。鉄道会社や路線によってもまちまち。日本人の私でさえ困るんだから、20年に海外から来る人はどうだろう」

 --大会は2年後に迫っている

 「ソフト、ハード両面で改善するべき課題はなお多く、2年の間に直さないといけない。建物や設備など、物理的に直せないものについては、人の心のほうを変えればいい。人の意識を変えることにお金はかからないのだから。ただ、日本人は遠慮がち。手伝いたいけれど手伝えない、何していいのか分からない、そんな印象を受けることもある。優しい人、声を掛ける勇気のある人が、どんどん増えてほしい」

                  ◇

【プロフィル】成田真由美

 なりた・まゆみ パラリンピック競泳選手。昭和45年生まれ。川崎市多摩区出身。中学1年の時に横断性脊髄炎を発症、下半身まひとなり、車いす生活に。水泳を始めた23歳のときに追突事故で手指にも障害が残る。夏季パラリンピックに通算5回出場し、計20個のメダル(金15、銀3、銅2個)を獲得した“水の女王”。現役選手として活躍する傍ら、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の理事を務める。