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【夢を追う】サッカー指導者・小嶺忠敏さん(4) 生徒がそこにいる限り

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【夢を追う】
サッカー指導者・小嶺忠敏さん(4) 生徒がそこにいる限り

長崎総合科学大で講義する小嶺忠敏さん 長崎総合科学大で講義する小嶺忠敏さん

 《平成18年に定年退職するまで、国見高校で教師を続けた》

 私は国見で続けることにやりがいを感じていました。国見しかありませんでした。平成9年に教頭になり、12年からは校長兼総監督として、実質的にサッカー部の指導を続けました。

 校長になったときに、学校の教育目標に「誇りを持てる学校にしよう」という一文を加えました。

 教壇に立ち、10年が過ぎるころから、悩みがありました。

 教育の現場は、成績が良く、手が掛からない生徒ばかりでは、ありません。素行が悪く、家庭に問題がある生徒も多い。かつての国見もそうでした。教科書通りの対応はできないのです。

 それなのに、とかく理想論ばかり掲げたり、官僚的に仕事をする人がいます。それでは、だめなんです。

 《退職後の19年参院選で、自民党から立候補、落選した》

 教育を何とかしたい、教育の現場に目を向けてもらいたい、という一心でした。教育は人間形成の原点なのです。

 結果は残念でしたが、仕方がありません。

 選挙で掲げたキャッチフレーズ「生涯チャレンジ」の言葉通りに、やるべきことを地道にやり続けていきます。

 《20年、長崎総合科学大付属高校サッカー部の総監督になる》

 出会いは人を変え、人を育てます。その2年前、長崎市内で会食中、当時大学理事長だった行徳威夫さんと偶然、隣り合わせ、大学に誘われました。

 実は行徳さんとは不思議なご縁がありました。

 国見時代、昭和62、63年度の全国高校サッカー選手権大会で決勝を戦ったのが、ともに東海大第一高校(静岡)でした。最初は負けて、2回目にリベンジしました。

 その東海大第一高の保護者会の会長が行徳さんだったのです。

 私は当時、サッカーチーム「V・ファーレン長崎」(現J2)の社長でしたが、長崎総合科学大の特任教授として、授業を始めることになりました。

 そのうち、「小嶺さん、もう一回、高校のサッカーをやりませんか」と声がかかり、付属高校のサッカー部を率いることになりました。これまた、無名でした。

 長崎県サッカー協会会長も務めながら、国見時代の教え子、定方敏和監督を招きました。

 平成24年に全国高校サッカーの県大会準決勝で古巣の国見を、2-0で下しました。決勝も勝ち、全国大会初出場を決めました。

 27年から「監督」になりました。古希を迎え、「1年間ならば」と引き受けましたが、もう2年目です。

 《大久保嘉人、平山相太、中村北斗、徳永悠平ら各選手と、教え子は国内外で活躍する》

 ゴールを決めた後などに、電話をくれるのは、本当にうれしいものです。

 高校のサッカー部では、全員がレギュラーを目指します。でも、レギュラーになれたかどうかだけが、3年間努力する本当の意味ではない。たとえ全国大会で優勝しようとも、人生の通過点でしかありません。

 レギュラーにはなれなくても、その先の人生で、大輪の花を咲かせることができれば、努力した意味がある。そんな卒業生もたくさんいます。大学の学生には「勉強もやるだけやらないといけないぞ」と諭します。

 私も教え子には負けられません。生涯勉強です。昨年はドイツ、今年も2週間、オランダに全額、自費で視察に行き、指導者研修に参加しました。来年はイングランドで、ユース年代のチーム作りを探ります。

 教え子がそこにいる以上、なんとかしなければという気持ちで、指導者人生を歩き続けます。

 私は人生の終着駅に近付いています。だからこそこの先も、与えられた仕事を、最後までやり抜きたいのです。 (聞き手 村上智博)