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【かながわ美の手帖】平塚市美術館「リアルのゆくえ」

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【かながわ美の手帖】
平塚市美術館「リアルのゆくえ」

 ■明治期導入の写実主義、日本独自の手法に発展

 明治期に導入された西洋由来のリアリズム(写実主義)。現代まで続くリアリズムの流れを追った企画展「リアルのゆくえ」が、平塚市美術館で開催されている。黒田清輝の登場後、外光派が日本洋画界の主流になる一方、印象派以後の在野モダニズムが対抗し、写実主義は日本美術史上、埋没してしまう。今回の展示は、明治から現代まで続く約150年にわたる写実主義を追った初の企画展となっている。

 ◆対象をつぶさに見る

 スーパーリアリズムとして最近人気を集めている写実主義。会場には、日本洋画の先覚者となった高橋由一と磯江毅の「鮭(さけ)」が並んで展示されている。

 企画展では、明治から現代まで続く写実主義が、日本独自の写実主義になりえたかどうかをみるというのも、テーマの一つになっている。

 磯江の鮭は、板に鮭を止める縄を描き、さらに縄をリアルに見せるため、本物の縄の毛羽立った部分を付けて、よりリアルにみせている。ここまでオマージュさせたのは、磯江作品のおよそ120年前に描かれたとされる由一の「鮭」である。

 狩野派の画家から出発した由一が、洋製石版画を目にしたのは20代半ばといわれ、西洋画の迫真性に感動して洋画家を志すが、実際に洋画の実技指導を受けるのは十数年後になる。その間、由一は、対象をつぶさに見る、凝視することで、西洋画を学んでいった。

 それまで多くの画家が、名所図会などを参考に想像で絵を描いていたが、「凝視=現場で見る」ことで生まれたのが「鮭」だ。同館館長代理の土方明司(めいじ)(56)は「鮭は、自然を見切ろう、把握しようとした作家、由一だからこその産物」と語る。

 この凝視を受け継いだのが、岸田劉生。大正期に入り、多くの画家がセザンヌやゴッホ、ゴーギャンへと移るなか、劉生は当時の画壇から「完全なる時代錯誤」と異端児扱いされながらも、迫真の写実にこだわり、表面的なものの奥にある「本質」を写実主義の原点として捉えた。

 レンブラント、デューラーら北方ルネサンスの作風に興味を抱いた劉生は、写実に徹していく。劉生は「模写する本能と、自然物によって誘発された、内なる美(または装飾)とが一致するときにそこに芸術が起因する」(『写実論』)とし、短い生涯の中でリアリズムを追求していく。

 ◆時流に左右されず

 戦前、戦後を通じて、一貫して写実画を描いてきた画家に、高島野十郎(やじゅうろう)、長谷川●二郎(りんじろう)、筧忠治らがいるが、野十郎は独学で油彩画を習得して精神性の高い写実画を描き、●二郎は静謐で幻想的な詩情あふれる作品を描いた。筧も画壇との交流を絶ち、独自の境地を追求し、時流に左右されることなく自身の道を歩み続けた。

 戦後は、米国主導の美術の潮流の中で、写実絵画や具象画を描くことさえ否定的に捉えられた。画家にとっては、対象に対する信頼が懐疑へと変貌し、絵画は具体的なイメージを抑制していく。

 だが、本質への還元に突き進む写実画家もいた。5年間も浅間山に通い続け、凝視を続けて、本質をえぐり出す絵を描こうとした水野暁(あきら)。山に分け入り、そこで感知したものを絵に込めようとした犬塚勉。主体を表現するために周りを客体に描く、一点透視図法を取る西洋画に対し、絵全体に神経を注ぎ、凝視して得たものを描き切るのが、日本のリアリズム手法だ。

 土方は「迫真に物狂いであった由一、写実を追求して無形の神秘の世界を目指した劉生から、現在の作家までの間に、一点にではなく絵全体に神経を注ぐ日本独自のリアリズムが生まれたということではないか」と指摘している。=敬称略(柏崎幸三)

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 「リアルのゆくえ」は、平塚市美術館(平塚市西八幡1の3の3)で6月11日まで。午前9時半から午後5時(入場は午後4時半まで)。月曜休館。観覧料は一般800円ほか。問い合わせは、同館(電)0463・35・2111。

●=さんずいに隣のつくり