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吉野ヶ里歴史公園の人気再燃 今夏にも累計1千万人に

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吉野ヶ里歴史公園の人気再燃 今夏にも累計1千万人に

 弥生時代の環壕集落を再現した佐賀県の吉野ヶ里歴史公園が、再び脚光を集めている。魏志倭人伝に登場する「邪馬台国」をイメージさせる高床式の祭殿や物見櫓などの建物、そして体験型イベントが、特に“日本通”の外国人観光客に人気だ。入園者数は熊本地震の影響を受けながらも、高い水準を維持する。今夏にも累計1千万人に達する見通しだという。 (中村雅和)

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 弥生人が着たであろう衣装を身に付けたり、勾(まが)玉(たま)や土器を作ったり。同公園で開かれる体験プログラムに、外国人の姿が目立つようになった。ツアーではなく、個人やグループ客が多いという。

 公園管理センターの福田敬氏は「日本への旅行経験が複数回ある外国人が『日本人のルーツを知りたい』と、公園を訪れるケースが多い」と語った。

 公園側も海外への浸透を急ぐ。台湾やタイからの誘客を目指し、動画を作成した。現地の旅行代理店へも働きかける。英語、中国語、韓国語に対応した案内スタッフも配置した。

 こうした成果もあって、平成27年度の入園者は、過去最高の約73万人を記録した。28年度は熊本地震の影響で減少し、68万人程度の見込みだが、このうち外国人客は1万2千人と過去最高だ。外国人客は25年度の約2千人から急増した。

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 同公園は昭和61年から発掘調査が始まった吉野ヶ里遺跡の保存・活用を目的に整備された。エリアは佐賀県の吉野ヶ里町と神埼市にまたがる。

 吉野ヶ里遺跡は、周囲に堀をめぐらせた日本最大級の環壕集落だ。約60ヘクタールもの広大な範囲から、墳丘墓や櫓の跡、数々の青銅器が出土した。

 その様子は、「魏志倭人伝」にある邪馬台国の表記を彷(ほう)彿(ふつ)とさせ、注目を集めた。平成元年2月には奈良国立文化財研究所(当時)の考古学者、佐原真氏が「卑弥呼の住んでいたところをしのばせる」と発言し、さらに話題となった。

 佐賀県と国は相談の上、公園として保存・整備を決めた。

 建築史の専門家と激しい議論を交わし、主祭殿や櫓の構造を推定、建設した。木片や土中の花粉などから、当時の植生を分析し、計画的に植樹した。

 公園は平成13年4月、オープンした。初年度は68万人が入園した。だが、ブームがしぼむのは早かった。

 発掘調査が継続しており、開園時は計画面積の半分以下での一部オープンだったことも原因だ。

 入園者数はたった3年で、3分の2の約41万人にまで落ち込んだ。

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 同公園や佐賀県は巻き返しに出た。

 福岡都市圏などでPRを強化し、農耕などさまざまな体験イベントを充実させた。建物の整備も徐々に進んだ。

 園内に加え、周辺のにぎわいづくりも始まった。

 22年3月から、月1回のフリーマーケット「吉野ヶ里夢ロマン軽トラ市」が始まった。今では100以上の店が出る。農水産品や工芸品を求め、県内外から多くの観光客が訪れる。

 地元開催のマラソン大会では、公園を周回するようになった。

 さらに訪日旅行(インバウンド)ブームが追い風となった。

 佐賀空港(佐賀市)に24年1月、格安航空会社(LCC)春秋航空の上海便が、就航した。翌25年には、やはりLCCのティーウェイ航空のソウル便も飛び始めた。

 関係者は、日本への旅行経験があり、より深く日本を知りたいという外国人の取り込みを図った。佐賀県観光課の担当者は「吉野ヶ里を含め、北部九州は古来、大陸との交流が盛んだった。東アジアの古代史に触れられる場所としてPRしている」と語った。

 歴史好きは国内外、どこにでもいる。2千年前の弥生人が眺めた景色が広がる公園に、多くの人が訪れるようになった。福田氏は「現在も整備が進み、展示物も増えている。久しぶりに来園した人が、驚くこともある。今後もより多くの方が、歴史に触れられる場所にしたい」と語った。