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上野国分尼寺跡に「尼坊」 大型の礎石、長大な建物 群馬

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上野国分尼寺跡に「尼坊」 大型の礎石、長大な建物 群馬

 高崎市教育委員会は16日、発掘調査中の上野国分尼寺跡(同市東国分町)で尼が日常生活を送る宿舎の尼坊跡を確認したと発表した。全国の他の尼坊と比べても大きく、往事の“国力”を物語るといえそうだ。近く一般にも説明会を行う。 

 上野国分尼寺は奈良時代の天平13(741)年に聖武天皇が発した「国分寺建立の詔(みことのり)」により、上野国分僧寺(現在の史跡上野国分寺跡)とともに8世紀中ごろ創建された。詔では20人の僧を置く僧寺と10人の尼を置く尼寺を建立することが命じられた。

 上野国分尼寺跡は昭和44、45年の県教委による発掘調査で約190メートル四方の寺域が想定された。寺域内では切妻造りで瓦葺の大型建物跡と柱を支える礎石、多数の礎石痕跡が確認された。建物の規模は南北10・8メートル、東西18メートルで南北に5列、東西に7列の柱を持っていた。柱間の距離は約3メートルで、当時は経典の講義や説教をする講堂跡と推定された。

 今回の市教委の調査では、東方にさらに5列分を確認。12列目には壁となる礎石跡がなかったことから、建物範囲はさらに東へ広がり、東西柱間12間(約33メートル)以上となることが判明した。

 また、建物の基礎構造を調べたところ、強固な建物基礎をつくるため地盤を掘り下げ突き固めた土を充填する掘込地業が行われている範囲も東に広がっていた。こうしたことから上野国分尼寺跡調査検討委員会(前沢和之委員長)では「柱間12間以上の長大な建物は講堂跡とは考えられず、類例から尼坊跡」と断定した。残存する礎石は約70センチ四方の大きさがあり、市教委では「上野国分尼寺の尼坊は、他国ではあまり見られない礎石を使い、それが大きいという点でグレードが高い」と話している。

 市教委では20日午前9時半から一般にも現地説明会を行う。その後は埋め戻し作業を行うが、来年度以降も金堂や講堂など伽藍の範囲や配置の確定作業をしていくという。