産経ニュース

【千葉・東日本大震災6年】(1)我孫子市、再液状化対策を断念

地方 地方

記事詳細

更新

【千葉・東日本大震災6年】
(1)我孫子市、再液状化対策を断念

 ■「布佐の暮らし守り抜く」

 □「ふさの風まちづくり協議会」相談役 村田正敏さん

 「対策ができなかったのは致し方ないと思う」。液状化被害の激しかった我孫子市布佐東部地区。再液状化対策は自己責任に委ねられ、空き地だった住宅跡では個別の開発も進む。しかし、暮らしは昔に戻らない。懐かしい顔に出会うことも減った。「高齢者が多い地域。地元に残りたいという人が多かったんですけどね」。地元の住民らで作る「ふさの風まちづくり協議会」相談役、村田正敏さん(81)はため息をついた。

 地域としての再液状化対策を行わないことが決まった。昨年1月、土地境界が影響を受けた区域の登記簿訂正作業が完了。3月31日には、復興に一応の区切りがついたとして、震災直後から地元対応の拠点だった市の復興対策室現地事務所は閉鎖された。

 市は地下水をポンプで抜き続ける再液状化防止の対策を提案したが、住民の賛同が得られなかった。「孫子の代まで負担を強いられる点に賛成できなかったのだろう」と市幹部は分析する。

 ◆「のんびり」夢霧散

 震災当日、村田さんは同市の近隣センター「ふさの風」2階で水墨画を指導していて、墨を溶く水が激しい揺れでこぼれた。自宅に戻ると、地面が約1・5メートル陥没。家も沈み込んでいた。当時、同協議会会長だったため、被災者救援のため自宅の片付けは家族を頼らざる得なかった。

 村田さんは老後に備え使いやすい住宅への改装を終えた直後の被災。「ここでのんびり」の夢は消えた。「震災を契機に経済的困窮に直面する家が出なかったのか、生活が壊れるようなことがなかったか、心配だった」と村田さん。こうしたことは表面に出にくいことなのでなおさら気になるという。

 村田さんは地震から約1週間後にアパートに入り、1年後に近くに新築した家に移った。「6万円を上限に市がアパート家賃を補助してくれた。早い段間の補助決定だったが、さらに早かったら、遠隔地の親類宅などに転居せず、地元にとどまった人が今より多かったかもしれない」

 被災地区の周辺を含めれば、現在もかなりの人が地元に暮らすが、同じ市内でも離れた場所や、利根川を越えて茨城県内に去った人も少なくない。市は市営住宅11戸を作って、一時避難は解消した。

 ◆根付く「共助」

 震災で勇気づけられたこともある。それは共助の精神が発揮されたことだ。中高生の若いボランティアが手伝ってくれた。震災の記憶をとどめるために「ふさ復興会館」を市に建設してもらった。幸いこの地域は小中学校の連携が盛んだ。子供たちが地域の一員として災害への備えと対応を学んでほしいと願う。

 生まれ育った布佐が大好きだ。周りも同じ。大震災前の住宅街の風景は戻らず、昔を回顧すれば寂しい思いばかりが募るが、村田さんら残った住民の気持ちは、すでに前を向いている。「自助努力を忘れず、共助の心構えを高め、行政の支援体制を充実すれば、布佐の暮らしを引き継いでいける」。村田さんはその力になりたいと願っている。(江田隆一)

                     ◇

 被災の爪痕が癒えない人々は何を思うのか、復興の局面を乗り越えた人々がたどり着いた境地とは-。東日本大震災から間もなく6年。翻弄された人々の今をリポートする。

                     ◇

 ■再液状化対策断念の経緯

 利根川に近い沼・湿地を埋め立てて昭和30年代に宅地化された布佐東部地区の約12・5ヘクタールは、大震災で223棟が被害を受け、うち119棟が全壊。再液状化対策として市は地下水くみ上げの「地下水位低下工法」を提案したが、地権者261人中43人の同意しかなく、平成26年11月、国の財政支援による「市街地液状化対策事業」の実施断念を表明した。

 くみ上げポンプ電気代、管理費の住民負担が半永久的に続くことが同意が得られなかった理由とされる。市はこれに代わるものとして個人が再液状化対策を行う場合、最高50万円を補助している。