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【自慢させろ わが高校】福岡県立福岡高校(上)

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【自慢させろ わが高校】
福岡県立福岡高校(上)

 ■ノーベル賞生んだ不死鳥の魂多で刻む100年の伝統 

 歴史の重みを感じさせる校舎の前に「祝・ノーベル賞受賞」の懸垂幕がかかる。平成28年、卒業生の大隅良典氏(71)=昭和38年卒=がノーベル医学・生理学賞を受賞し、在校生、卒業生は沸き立った。福岡県内に名門校は数あれど、初めての栄誉だった。

 校舎は昭和4(1929)年に建てられた。見れば誰もが、伝統校と認識する。旧制中学時代の校舎が現役で使われているのは、県内で唯一だ。建設当時の機能や構造がほぼ受け継がれ、平成24年に福岡県の有形文化財に指定された。

 「赴任当初は、こんな高校まだあるのかと、びっくりしました。外観は非常にクラシックですけど、中では先進的な教育をやっています。そこが、良さの一つです」。井上拓夫校長(59)が説明する。

 「福高(ふっこう)」は、「博多祇園山笠」の街、福岡市博多区堅粕の一角にある。大正6(1917)年、県立福岡中学校として誕生した。今年、創立100周年を迎える。

 進学校として近隣中学から優秀な生徒が集う。その生徒を「福高生」にするのが、入学直後の恒例行事「応援歌練習」だ。

 体育館や講堂に集められた1年生は、4日間、「應援團」によって、応援歌や独特の拍手をたたき込まれる。「若き福高」「千代原頭(ちよげんとう)(千代の緑)」など複数の応援歌を、整列し、姿勢を正し、大声で、ひたすら歌う。應援團員は新入生の列の間を通りながら「声が小さい!」「もっと出せる!」と怒鳴る。

 「歌うというより、がなるような感じで覚えました。つらいと訴える生徒もいましたが、この洗礼を受けて、みんな福高生になるんです」

 同窓会常任理事の矢谷学氏(65)=昭和45年卒=はこう語った。この行事を経て、「自分に限界をつくらない」「やるべきことをやる」という姿勢が培われるという。

 福高生の心を注入された生徒は、文字通り「文武両道」に励む。部活動・委員会の加入率は85%と高い。部活は体育部19、文化部21と数が多い。生物、地学、化学、物理と理科4科目がそろうのも珍しい。ノーベル賞の大隅氏は、化学部に所属した。

 28年度は、県高校体育連盟がまとめる総合体育大会の総合成績で、公私立合わせてトップに輝いた。部活動の参加者と、さまざまな大会成績を点数化し、最も高かった学校が選ばれる。福高の活気を裏付けた。

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 校訓は「至誠勵(励)業(しせいれいぎょう)」「剛健成風(ごうけんせいふう)」「操守堅固(そうしゅけんご)」。世界で活躍する人材の育成に向け、一部の生徒は英オックスフォード大やケンブリッジ大などを訪問し、語学研修や国際的課題についての意見交換をする。中央省庁や東大、企業を訪問する機会もつくり、「高い志」を育成する。

 学業では、同じ福岡市内にある修猷館、筑紫丘の県立2校と競う。

 昨春の進学実績は、東大2人、京都大11人、九州大115人(卒業生含む)。国公立大医学部医学科には11人が進学した。

 部活動や体育祭に打ち込んだ3年生が、秋から急激に学力を上げる。その様子を「福高曲線」と呼んでいる。

 ライバル修猷館とは、創立以来の深いつながりがある。

 福高の前身「福岡中学校」は、中学修猷館(現修猷館)の寄宿舎の一部を仮校舎として開校した。商人の子らが通う学校として、大きな期待で迎えられた。

 大正8年に現在地に移転し、11年には生徒の定員が1200人になった。

 ところが昭和2年、惨事が起こる。木造校舎が火災に見舞われた。

 それでも生徒、教員は学ぶことを諦めなかった。臨時の受け入れ先となったのが、修猷館だった。

 「焼け残った机や実験器具を、生徒が修猷館に運び込んだという話は、学生時代に何度も聞きました。『福中焼くとも福中魂は焼けず』という言葉は、体に染みこんでいます」。花田亮二副校長(56)=昭和54年卒=が説明する。

 粘り強さや初志貫徹の根性は、火災からの再建と無関係ではない。中庭には、不死鳥(フェニックス)のモニュメントがある。この中庭は卒業生で、30年以上サグラダ・ファミリアで働く主任彫刻家、外尾悦郎氏が創った。

 こうして巣立った福高生は、国内外で活躍する。活躍の舞台は幅広い。元福岡市長の進藤一馬氏、『博多っ子純情』で知られる漫画家の長谷川法世氏、同じく漫画家の倉田真由美氏、医師でペシャワール会現地代表の中村哲氏らが知られる。

 麻生太郎副総理兼財務相の父、太賀吉氏も旧制福岡中で学んだ。同窓会常任理事の矢谷氏は、太賀吉氏が会長を務めた麻生セメントで働いた。「福高やヤマ(山笠)の手伝いは、平日でも自由にできた。会社の寛容な雰囲気は、地域貢献を重んじる大先輩(太賀吉氏)の意向があったのかもしれません」と当時を振り返った。

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 博多にある福高は、地域色が濃く残る。毎年7月の博多祇園山笠で、福高には千代流の山笠が敷地に入り、生徒が出迎える。「福高入り」といわれ、校長が台上がりする。

 歴史をさかのぼれば、福岡の那珂川をはさんで東と西では、異なる気風が流れていた。福高のある東は商人のまち、西は武家のまちであり、そこにある修猷館は藩校だった。

 修猷館出身者に政治家や官僚が多い一方、商売人の親を持つ福高生は、自然と地元に目を向けた。

 卒業生には、西部ガスの酒見俊夫社長、辛子明太子製造販売「ふくや」の川原正孝社長ら、地場企業トップも少なくない。「そば屋などの店主も多い」という。

 博多総鎮守・櫛田神社の阿部憲之介宮司(63)=昭和47年卒=は「福高の特徴は、福岡の高校ではなく、博多の高校ということです。仁義を重んじ、人情がある。親の背中を見て、家業を継ぐ人も多い」と説明する。

 祭り好きで陽気な性格も福高の気風だろう。「官僚や大臣になるより、山笠の要職に就く方が、よっぽどえらい」。本気でこう語る卒業生もいる。

 伝統を重んじ、地域に溶け込む。教室では世界に通用する生徒を育てる。「伝統と革新」が、福高にはある。(高瀬真由子)

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 誰もが独特の感傷にひたる高校時代。人生のわずか3年間だが、特別な3年間でもある。九州・山口の人々の母校愛を描き出す。福岡高校(下)は18日付紙面で掲載予定です。