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「佐賀は世界を見ていた」 明治維新から150年、佐賀の偉人に光

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「佐賀は世界を見ていた」 明治維新から150年、佐賀の偉人に光

佐賀県が制作した明治維新150年のPR動画。山口祥義知事(左)が探偵役で出演している(佐賀県提供) 佐賀県が制作した明治維新150年のPR動画。山口祥義知事(左)が探偵役で出演している(佐賀県提供)

 幕末・維新の佐賀の偉人に光をあてる取り組みが進む。佐賀といえば「何もない」「一生行くことはなさそう」など、地味な県とみられてきたが、150年前は日本をリードする地域だった。地元が誇る人材で認知度アップを目指し、佐賀を盛り上げる。(九州総局 高瀬真由子)

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 「佐賀が生んだ黒田チカさんは、女性の化学者の先駆けとして活躍した」。28日、日本初の女子大生の一人、黒田チカの業績を伝えるシンポジウムが佐賀市内で開かれた。地元のNPO法人「みなくるSAGA」が主催した。

 黒田は明治17年、佐賀市に生まれた。西欧に先駆け、紅花の色素の構造研究で、論文を発表するなど、化学史に足跡を残した。リケジョ(理系女子)の元祖といえる。

 女性への教育が不十分だった時代、なぜ彼女が活躍できたのか。シンポジウムでは、佐賀経済の拠点だった「佐賀米穀取引所」との関係を指摘した。

 黒田の父、平八は、同取引所の理事だった。理事長・牟田萬次郎、監査役・佐野直、平八の息子・吉村吉郎とともに、佐賀の経済発展に貢献した。いずれも先進的な考え方で突き進んだ実業家で、黒田チカの人生に影響を与えたとみられる。

 会場には子孫4人がパネリストとして登場した。九州産業大特任教授の黒田光太郎氏、医療法人社団誠和会理事長の牟田和男氏、佐野歯科医院院長の佐野直氏、佐星醤油社長の吉村誠氏。

 黒田教授は「佐賀藩は幕末から明治にかけ、最先端の科学技術を誇った。佐賀に生まれ育ったことが、黒田チカが化学に一生をささげる一因となった」。牟田理事長は「先進的なものを取り入れた佐賀藩の気性が庶民らにも広がり、いろんなところに芽が出た」と考察した。関係者の子孫が一堂に会するイベントは、来場者を魅了した。

 維新前後の偉人を伝える取り組みは、佐賀県も力を入れる。今月10日、庁内に「肥前さが幕末維新博事務局」を設立した。18人体制で、佐賀の偉業が実感できる県内の施設をPRする。

 佐賀出身者は理化学研究や西洋医学の進展に大きく貢献した。それが明治維新とその後の近代化につながった。

 だが、維新を牽引(けんいん)した「薩長土肥」のうち、残念ながら、肥前・佐賀藩の知名度は低い。

 それは県民も同じだ。昨年8月、県が実施した県民約450人への意識調査では、佐賀藩の偉業を知らないと答えた人が平均63%に達した。

 佐賀出身者の認知度も、具体的に尋ねた。幕末・明治に活躍した「佐賀の七賢人」のうち、首相を務めた大隈重信こそ90%が「知っている」と答えたが、明治政府で教育・司法の基礎を築いた大木喬任(たかとう)は19%、北海道開拓の父と呼ばれた島義勇(よしたけ)は29%だった。

 そもそも、平成30年で明治維新150年となることを、84%が知らなかった。佐賀に「誇りを感じる」と答えた人は64%だった。同事務局は「偉業を知らないことが、この数字につながっているのでは」と考える。

 明治維新といえば、まず西郷隆盛、木戸孝允、坂本龍馬らが挙がる。薩長土肥と呼ばれる現在の鹿児島、山口、高知、佐賀4県のうち、佐賀以外の人々だ。

 「佐賀はなーんもなか」。そう言う県民も少なくないという。

 佐賀県は状況打開を目指す。

 「佐賀は世界を見てた」。県広報広聴課は、今月、ホームページでこう訴えるPR動画を公開した。山口祥義知事が探偵役で出演し、「実は、明治維新の鍵ば握っとったとは、ここ佐賀藩やったとばい」と語りかける。演技の評判は上々だ。

 動画では同県唐津市生まれのシンガーソングライター、カノエラナさんが協力し、オリジナルの楽曲を披露している。

 同課の担当者は「佐賀が明治維新に大きく寄与したことをPRし、自分の県に誇りを持ってほしい」と語った。

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