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姫路城で江戸初期の石垣発見 一部には刻印確認

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姫路城で江戸初期の石垣発見 一部には刻印確認

江戸時代初期の石垣が築城当時の状態で確認された姫路城の内船場蔵南石垣=姫路市本町 江戸時代初期の石垣が築城当時の状態で確認された姫路城の内船場蔵南石垣=姫路市本町

 姫路市立城郭研究室は24日、世界遺産姫路城(同市本町)の東側にある内船場蔵南石垣の土砂の下から、江戸時代初期に造られた石垣が当時の状態のまま見つかったと発表した。石垣の修復中に「○」の中央に横棒が通る刻印が入った石も発見され、同研究室は「築城当時の城主池田輝政の家臣が何らかの目印として刻んだ可能性がある」と指摘している。

 内船場蔵南石垣の付近で平成27年12月、昭和期に設置された石積みの一部が堀に崩落。市は、石積み近くの道路と周辺の石垣約200平方メートルで実施した修復工事に伴い、昨年6~10月に発掘調査を行った。

 長い年月をかけ、土砂などが堆積して陸地になった部分を2メートルほど掘ったところ、輝政が築城した当時の形を維持した状態の石垣を確認。巨石の間に玉石と呼ばれる丸い河原石を詰めて強度を高めていた。石垣の刻印は約50種類確認されているが、今回のタイプは未確認という。

 同研究室によると、周辺の石垣のほとんども江戸時代のものだが、風雨などで角が削れたり、石垣の間に挟んだ石が落ちるなどして状態が変化しており、出土した石垣は「築城当時の様子が分かる貴重な資料」としている。

 付近の斜面からは敵の侵入を防ぐため、岩盤を削って築いたとみられる溝(長さ約25メートル、幅約3・2メートル、深さ約1・5メートル)の跡も確認。江戸後期の城絵図には溝跡付近に土塀が描かれており、敵兵が三の丸など大手側と東側の喜斎門などの搦手(からめて)側とを容易に移動できないようにするため、土塀に沿って溝が築かれていた可能性があるという。

 同研究室は「平時だけでなく戦時の備えもしっかりとなされた城であることが改めて確認できた」としている。