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落花生栽培を千葉の農業の「顔」に…課題に挑む

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落花生栽培を千葉の農業の「顔」に…課題に挑む

 初詣の参拝客で賑わう千葉県旭市の鎌数伊勢大神宮(同市鎌数)の一角に、先端のとがった帽子のような形をした石碑がある。幕臣山岡鉄太郎(鉄舟)の揮毫(きごう)を模した「落花生」の題字。落花生の実をかたどっているが、立ち止まる人は少ない。同じ境内にある夫婦杉には子宝を願って案内板を見る人がいるのとは対照的だ。

 碑は、この地に落花生栽培を普及させた匝瑳郡鎌数村(現旭市)の役人、金谷総蔵の業績をたたえ、総蔵がまだ存命だった明治17年に建立された。同神宮の梅谷長利宮司によれば、総蔵が同神宮の氏子だったことから、この場所が選ばれたという。

 同10(1877)年、千葉の初代県令(知事)の柴原和は、殖産振興のために落花生の栽培を県民に奨励した。総蔵は柴原の号令に呼応し、県庁に赴いて落花生の種子を持ち帰り栽培を広めた。栽培方法の指導はもとより、東京への販路も構築するなど、落花生普及に大きな足跡を残した。

 総蔵が持ち帰った2升の種子から120キロを収穫して始まり、今や千葉の代表的な農作物となった落花生。平成29年は、その栽培が県内で本格化して140年となる。

 総蔵の狙い通り、川砂で力のない粗悪な周辺地域でも落花生はよく育った。しかし、現在の旭市周辺ではデンプン生産用に甘藷が主流になり、代わって印旛郡台地(現八街市など)で盛んに栽培された。「元々は鎌数地区の発祥。地元の偉人を忘れないようにしたいですけどね」。落花生記念碑について説明する梅谷宮司は、どこか寂しそうだった。

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 全国的にも珍しい落花生専門の研究拠点、農林総合研究センター「落花生試験地」(現落花生研究室)が八街市に置かれるなど、落花生生産は本県がリードしてきた。同施設は新品種の開発や栽培の効率化などに貢献。代表的な「千葉半立(はんだち)」は、同施設が開発したものだ。

 しかし、平成の時代の県産落花生に関するデータは芳しくない。県の最新の統計によれば、収穫量は平成27年、戦後ほぼ一貫して維持してきた1万トンの大台を割り込み、最盛期比6分の1近くに減った。作付面積も5分の1程度に縮小している。

 先細りが懸念されるが、明るい兆しもある。生産者の負担を軽減する機械「落花生収穫機」が28年度に実用化された。国と県、メーカーが5年かけて共同開発。県生産振興課農産班班長の豊田祐輔さんは「機械化で野菜など他の作物と輪作の一つとして落花生栽培が進めば」と期待を込める。

 同研究室は、新品種「P114号」を開発。収穫期が重なる既存品種よりも暑さに強く、昨年に農林水産省に品種登録を出願した。本県発17番目の登録品種となる見通し。愛称を募集し、30年度から本格的に販売を始めたい意向だ。

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 ただ、価格で優位の外国産に対抗するには限界があり、生産量減少の流れはなかなか崩れない。同研究室室長の雨宮昭彦さんによれば、生産者は収益の高い野菜などに作付けをシフトさせる流れは避けられず、栽培の機械化のさらなる普及や生産者の高齢化といった落花生生産をめぐる課題は多いという。

 これに加えて関係者が口をそろえるのは、イメージチェンジの必要性だ。高価で贈答用というイメージが根強く、中元や歳暮の商戦が不振となれば、大きな打撃を受ける。

 「千葉では一般的な『ゆで落花生』の認知度は高まってきた。レトルト技術の採用と合わせ、いかに新しい用途を提案できるかが課題」と雨宮さん。大豆以上のタンパク質を含み、ヘルシー面でもアピールできる。身近な食材として主菜、副菜にできないか。さまざまなレシピを提案し、一般家庭の食卓を彩るよう模索は続く。

 課題に挑む中で迎えた140年。「落花生があるから畑で収穫される他の作物もおいしいものができると、輪作でどちらもいい関係となり、農業王国を支えてくれれば」と豊田さん。今後も「千葉の顔」であり続けるため、関係者のモチベーションは高い。(飯村文紀)