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【ふるさとを語ろう】日本旅行社長・堀坂明弘さん ハンドボールに熱中

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【ふるさとを語ろう】
日本旅行社長・堀坂明弘さん ハンドボールに熱中

「故郷の復興をお手伝いしたい」と語る堀坂氏(春名中撮影) 「故郷の復興をお手伝いしたい」と語る堀坂氏(春名中撮影)

 熊本市の出身です。幼い頃は父親の転勤に伴って、九州の別の地に住んでいたことがあります。印象が強いのは北九州市の門司です。関門トンネルが完成したときで、早速歩いて山口の下関まで行きました。それまでは連絡船で渡っていただけに、びっくりした思い出があります。また、5市が合併し北九州市になったタイミングでもありました。当時は躍動的な素晴らしい活気に満ちあふれていましたね。

 子供の頃は、外で草野球などに興じる日々を送っていました。中学時代は生徒会長も務めました。

 周囲には荒れた学校もあったので、「のびのびとした校風は守りながら秩序をきちんと保っていこう」といった形で先頭に立っていました。

 一方、中学からハンドボールにのめり込みました。

 オムロンのハンドボール部は女子実業団の強豪ですが、同社の前身である立石電機はルーツが熊本です。そんなこともあってハンドボールが盛んな土地柄で、チームもたくさんありました。男子の世界大会が開催されたこともあります。平成31年に、女子の世界大会の開催が決定しています。

 昭和48年に火災事故を起こし倒産しましたが、大洋デパートのチームも強豪でした。お姉さん方が中学に指導に来てくれたこともあります。そんなこともあって、われわれのチームは市内で2位になりました。

 卒業後は熊本高校に進学しますが、引き続きハンドボールに熱中しました。

 練習は想像を絶する厳しさでした。室内スポーツなのにバスケットボール部などに体育館を占有されてしまい、夏場の練習は炎天下のグラウンド。OBによる指導が伝統で、今思えば「よくぞ熱中症にならなかったな」という感じです。冬場はかじかむので突き指に悩まされました。本当に痛かった。1年生のときには早くも、同じ学年で残ったのは私だけになりました。

 私自身は上背があまりなく、引っかき回すのが得意なプレーヤー。2年生からは上級生に混ざりレギュラーになりました。メンバーは強豪として知られ、九州大会の熊本県代表にも選ばれましたが、受験優先ということで先輩は途中で引退します。最後まで残っていれば、国体に行けていたのではないでしょうか。

 大学でも同好会に所属しましたが、肩を脱臼して断念しました。

 その後、日本国有鉄道(現JRグループ)に入ります。入社試験の際に「青白き秀才は要らない」と言われましたが、高校時代に培った身体・体力が合格の決め手となったのかもしれません。

 国鉄に入社した理由は、中学・高校生の頃から「国家的な仕事に携わりたい」と思っていたからです。実際、JR西日本時代は、今で言う地方創生などに結びつく大プロジェクトにも関わりました。山陽と九州新幹線が接続した5年前は直接の担当ではありませんでしたが、熊本との絆ができてとてもうれしかったです。

 昨年6月、日本旅行の社長に転じたのですが、熊本地震からの復興をお手伝いしたいですね。多くの観光客が訪れることが復興への近道です。時間を要するかもしれませんが、「安心して旅行を楽しめる」ということをPRしていきたいと思っています。

 また、2月には大きなイベントが待ち構えています。熊本高校の修学旅行は、1年生の冬に関西方面へというのが定番ですが、われわれの学年で再現するのです。当社の熊本支店長が添乗員となって、40人程度が2泊3日で京都と奈良を訪れます。このうち奈良の宿泊施設は大広間。男性と女性がそれぞれ別の部屋に分かれて雑魚寝です。ぜひとも成功させて、同期の絆を強めていきたいですね。(伊藤俊祐)

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【プロフィル】ほりさか・あきひろ

 熊本県立熊本高校、慶応大学経済学部卒。昭和54年日本国有鉄道入社。JR西日本執行役員総務部長、取締役兼常務執行役員営業本部長などを歴任し、平成28年6月から現職。61歳。熊本県出身。