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【ふるさとを語ろう】東京地下鉄会長・安富正文さん 長崎

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【ふるさとを語ろう】
東京地下鉄会長・安富正文さん 長崎

「図書部で本を読みあさった」と語る安富氏(松本健吾撮影) 「図書部で本を読みあさった」と語る安富氏(松本健吾撮影)

 ■6畳一間に親子3人、天窓から星

 長崎市で生まれ育ちました。母の出身地が佐賀市だからか、本籍地は佐賀です。そのため、国土交通省の鉄道局長時代、地元として佐賀の新聞が取材に来たこともあります。「私は長崎出身で佐賀ではありませんよ」と、その時はお断りました。

 父は金物を取り扱う地元の会社に勤めていました。家から近かったので、弁当を届けたこともあります。

 貧しくはありませんでしたが、住まいは市内中心部の長屋のように連なった路地の一角。6畳一間に両親と私の3人で暮らしていました。部屋には天窓が設置され、寝転びながら眺める月や星の美しさは格別で、優雅な気持ちになったことを覚えています。

 自宅には風呂もなく水道も共同です。夏場は女性の人もたらいで行水していました。私も中学生までは平気でしたが、高校生ともなると、さすがに恥ずかしくて…。

 住民しか通らないエリアだったのに加え、自宅の前は夜遅くまで開いている豆腐屋さん。戸締まりなんてしたこともありませんね。

 小学校には青空市場の中をすり抜けて通っていました。大学時代、周囲には「小中学時代はオール5だった」という人が少なくありませんでしたが、私は運動だけがうまくなくて体育は「3」でした。

 一人っ子でしたが、母のしつけは「勘弁してくれ」と思うほど厳しかったですね。悪いことをすると壁に向かって座らされて、叩かれたものです。たまにしか購入してもらえないプラモデルを壊されたことも、鮮明に覚えています。

 団塊世代だったので同級生の数があまりにも多く、中学は1学年で24組ありました。急遽(きゅうきょ)、プレハブの校舎を建てて対応しましたが、とにかく暑くてたまりません。自分で言うのもなんですが、成績は常にトップクラスでしたね。

 高校は長崎東です。幼い頃から読書好きだったので、図書部に属していました。色々なジャンルの本を読みあさるのと並行して、司書のお手伝いみたいなことをしていましたね。一番の思い出は運動会。高校の裏山から竹を切り出して、長崎くんちのように運動場に桟敷をこしらえるのです。準備は大変でしたが、打ち上げのキャンプファイアを含め、素晴らしい体験をしたと思っています。

 2年生の時、担任から「東大法学部を受験してみないか」というアドバイスを受けました。両親は「長崎大学に行ってもらえれば」という感じでした。私も考えたことすらありませんでしたが、これを機に意識せざるをえなくなり、勉強にも力が入りました。

 しかし、6畳に一家が住むという環境では、夜遅くまで勉強するわけにはいきません。図書館に通うなど工夫を凝らして乗り切り、合格を果たしました。

 父は私が結婚して間もなく、55歳という若さで亡くなりました。

 その後、昭和57年の長崎大水害で実家に住めなくなったため、母は他人に貸していた諫早市の家に引っ越しました。ただ、これまで培ってきた人脈が希薄になってしまい、寂しそうにしていたので、私が引き取り一緒に住むことになったのです。そんなこともあって長崎に帰省する機会はめっきり減りました。

 ですが、長崎も関係する産業遺産国民会議の理事を務めたり、県や市の主催する長崎県ゆかりの会などへ出席したり、高校のクラス会に顔を出すなど、今は東京で故郷と深くつながっています。

 東京メトロは地方の人でも利用しやすい環境の整備に力を入れています。上京の際には地下鉄での東京観光を楽しんでもらえれば、と思っております。 (伊藤俊祐)

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 次回はパナホームの松下龍二社長が登場する予定です。

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【プロフィル】安富正文

 やすとみ・まさふみ 長崎県立長崎東高校、東京大学法学部卒。昭和45年運輸省(現国土交通省)入省。大臣官房長、国土交通審議官を経て平成18年国土交通事務次官。21年東京地下鉄顧問。副社長を経て27年6月から現職。68歳。長崎県出身。