産経ニュース

那須野が原の開墾に尽力 柴山景綱の碑、初めて解読 栃木

地方 地方

記事詳細

更新


那須野が原の開墾に尽力 柴山景綱の碑、初めて解読 栃木

 ■郷土史家・大沼さん、三島神社例大祭で披露

 明治時代の那須野が原開拓に深い関わりがあった柴山景綱(1835~1911年)を顕彰する碑文が初めて本格的に解読された。柴山は県令を務めた三島通庸(みちつね)(1835~88年)の義兄で、三島が設立した華族農場の開墾に尽力した。三島を祭る三島神社(那須塩原市三島)に立つ柴山の頌徳碑(しょうとくひ)を、大田原市文化財保護審議会長を務める郷土史家で高校教諭の大沼美雄さん(59)が調査した。(伊沢利幸)

                  ◇

 大沼さんは9日の同神社例大祭で碑文の内容を解説した。例大祭に毎年出席している通庸の子孫で会社代表、三島通文さん(68)=東京都世田谷区=は「これまで碑に何が書かれているか分からなかったので、内容が分かって本当に良かった。感謝している」と話した。通文さんによると、柴山の子孫は昭和30年代後半まで三島農場の管理を任されており、三島家との関係は続いていた。

 柴山は通庸と同じ薩摩藩士で、通庸の妻の兄。維新後は陸軍省、警視庁に勤務し、山形県と福島県で郡長を務めた。明治31(1898)年には通庸の長男の弥太郎(子爵)から開墾事業への協力を依頼され、通庸が設立した開拓農場「肇耕社(ちょうこうしゃ)」(後の三島農場)の管理人となり、開墾事業に尽力。開拓の地、三島村で生涯を終えた。開拓地に道路を碁盤目状に走らせて整然と区画整備するなど西那須野地区発展の礎を築いた。

 「柴山翁の碑」と名付けられた頌徳碑は大正7(1918)年7月に三島神社境内に建立された。高さ4メートル、幅1・72メートル、幅21センチ。農場社長の弥太郎をはじめ開墾に関わった住民たちも建立に協力し、碑の裏側には寄付をした約360人の名が刻まれている。

 碑文には、柴山が勤王の志士として寺田屋騒動や禁門の変などで活躍し、維新後は陸軍大将、西郷隆盛の推薦で兵部省に入省したことなどが記されていた。また、仕事が休みのときは儒教の教典を読み、孔子の言葉が口癖だったほか、「信長記」「関ケ原軍記」などの編集や執筆に関わり、農場での開拓者たちとの様子は「まるで親子のようだった」と刻まれている。

 大沼さんは「質素を重んじ、うわべだけを飾ることを嫌うところは三島と同じで、碑文などから儒教的教養を身に付けた武士だったことが分かる」と話した。同神社は碑文の説明板の設置を検討している。