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【ふるさとを語ろう】インフォテリア社長・平野洋一郎さん

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【ふるさとを語ろう】
インフォテリア社長・平野洋一郎さん

「奇跡の大学合格を果たした」と笑う平野氏 「奇跡の大学合格を果たした」と笑う平野氏

 ■学級新聞で「日本一に手が届く」

 高校の同窓会をはじめ熊本にかかわる複数の団体に所属しています。その中には私が創立して会長を務めている団体もあります。その名も「熊本弁ネイティブの会」。東京で熊本の人間が集まっても標準語ばかりが飛び交うのを不思議に思い、「熊本弁ば話すばい」という趣旨で始めました。

 当初10人ほどだった会員は現在、1千人を超えています。主な活動は飲み会ですが、標準語が出たら罰ゲーム。くまモンの着ぐるみ姿の写真を撮られ、ネット上にさらされるのです。

 故郷への思いが強いのは、「今の自分があるのは熊本での日々があったから」という感謝の気持ちからです。

 生まれ育ったのは宇土半島の先端にある三角町(現宇城市)です。山の中でオモチャもほとんど買い与えられず、遊ぶには木や石を使って、何でも自分で作るしかありません。私は起業し現在の会社を立ち上げましたが、こうした原体験が行動のルーツだと感じています。

 実家は兼業農家でミカンを栽培していました。ミカンは、苗を植えてから出荷まで5年を要します。5年後にその品種がはやっているかどうかはわからない。風雨で大きな被害を受ける可能性もあります。こうしたリスクを抱えている点は、ベンチャー経営みたいなものですね。

 父の仕事の関係で熊本市内に転居したのが中学2年生の時です。ベッドタウンにある新設校の西原中学校に転校し、人生に大きなインパクトを与える出来事に遭遇しました。

 私が編集長だった学級新聞が全国のコンクールで最優秀賞を受賞したのです。新聞の名称は「ちいぱっぱ」。通常は週刊なのですが、日刊や夕刊を発行したり、転入生が来たときには号外を出したこともあります。こうしたユニークな取り組みが評価されたようです。「頑張れば日本一に手が届く」ということを実感したことが後に大きな影響を与えました。

 中2まではいわゆる優等生グループだったのですが、中3では不良グループといわれる1人と仲良くなり、バンドを始めました。そこから急に勉強をしなくなるわけですが、それまでの「貯金」で県立熊本高校に合格しました。

 同校は進学校です。1クラス45人で、全てのテストにおいて1位から45位までがクラス内に掲示されるのですが、私は3年間にわたって40番台で「フォーティーボーイズ」と呼ばれていました。バンドとコンピューターに熱中し、まったく勉強しなかったので仕方ありません。

 大学受験では、無謀にも熊本大学工学部に狙いを定めました。最新のコンピューターが導入されていると聞いたからです。入試では共通一次試験の結果を重視するので、入試前1カ月間だけ近所の友人宅に居候して集中的に勉強。高得点を取り学年で150番以内に入りました。「自己採点で見栄(みえ)はらんでよかろうたい」などと散々言われましたが、奇跡の合格を果たしました。

 ただ、大学の授業はコンピューターの「コ」の字から教えるような内容で、退屈でしようがありませんでした。その代わり、最新のコンピューターを駆使して言語やゲームを作る「熊大マイコンクラブ」は楽しくて、部室で寝泊まりするほど入り浸っていました。大学2年生のときに1人の先輩とともに大学を中退。ソフト開発で身を立てることを決めたのです。日本語ワープロソフトが国内売り上げ1位になるなどキャリアを積み重ねました。

 熊本は地震からの復興が急務の課題ですが、熊本県外にいるからこそできる支援があります。熊本弁ネイティブの会による活動もその一つ。継続していきたいですね。(伊藤俊祐)

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【プロフィル】平野洋一郎

 ひらの・よういちろう 熊本県立熊本高校卒、熊本大学工学部中退。ソフトウェア開発のベンチャー設立に参画しロータスを経た後、平成10年インフォテリアを創業、現職。53歳。熊本県出身。

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 次回は新生信託銀行の日下部裕文社長が登場する予定です。