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【栃木この人】声優・古川登志夫さん(上) 親父に見せたかった活躍

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【栃木この人】
声優・古川登志夫さん(上) 親父に見せたかった活躍

 「イケメンでも、若い人も、善でも悪でも、動物でも宇宙人でも魚類でも、何でもできちゃう」

 声優という仕事の魅力をそう語る。40年以上活動し、世代を超えて愛される作品に出演し続けている。「今はリアル老人なので、老人役もやりたいですね」と笑う。今年7月に70歳の誕生日を迎えた。

 大平町(現栃木市)の出身で、5男10女の大家族の末っ子として育った。15人目ともなると、母は出産をためらったが、父・善作さんの「15でキリがいいから産んでおけ」との一言で決意。名前は姉の当時の恋人から取ったという。

 「親の愛情の奪い合いみたいで大変でした。だけど、末っ子って普通はお下がりを着るのに、僕はいつも新しい物を買ってもらっていたと聞きます」

 釣りや川遊びなど、自然豊かな大平町で「濃密な時間」を過ごした。中学で上京したが、「自分の原点は栃木にある」という。中学1年のころ、兄の勧めで児童劇団に入団。週1回、東京まで通った末、上京を決意。「田舎で銀行員になれ」という善作さんの猛反対を押し切り、俳優への道を踏み出した。「そのとき東京に出るのに何の不安もありませんでしたね。東京はキラキラしていました」

 東京で俳優として活動し、テレビの端役に起用されることもあったが、20代後半まで鳴かず飛ばずの時代が続く。たまに帰省すると、善作さんは「お前の同級生はみんな帰省すると、親におこづかいを持ってくるけれど、お前はまだだな」とぼそり。「ちょっと切なかったですね」と振り返る。結局、善作さんは活躍を目にすることなくこの世を去った。「今くらい仕事をやるようになった姿を見せたかったですね。栃木のことを考えると、親父のことが一番に頭に浮かびます」

 本業では食っていけず、アルバイトも掛け持ちする日々。「やりたいことを疑わず、いつかどこかでプロになれると思っていたからつらかったです」

 転機が訪れたのは30歳のときだった。「新作のアニメを作るんだけれど、声優のオーディションを受けてみないか」。そう声をかけてきたのは青二プロダクションの古市利雄さん(現・同社社長)。当時、別の劇団に所属していたが、オーディションを勝ち抜き、アニメ「マグネロボ ガ・キーン」(昭和51~52年、テレビ朝日)の主役、北条猛役の座を射止めた。「アニメとはいえ、主役でしたから、新聞のテレビ欄にも名前が出るし、うれしかったですよ」(豊嶋茉莉)=つづく

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【プロフィル】古川登志夫

 ふるかわ・としお 本名・古川利夫。昭和21年、栃木市生まれ。日大芸術学部演劇学科卒。代表作に「うる星やつら」諸星あたる、「機動戦士ガンダム」カイ・シデン、「ドラゴンボール」ピッコロ、「ONE PIECE」ポートガス・D・エースなど。「満喫!とちぎ日和」(とちぎテレビ)にも出演。