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三船敏郎ゆかりの旧陸軍隈庄飛行場 油倉庫を救え 熊本

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三船敏郎ゆかりの旧陸軍隈庄飛行場 油倉庫を救え 熊本

 「あの油倉庫は、かつて隈庄(くまのしょう)飛行場があったことを示す貴重な戦跡です。保存状態も良く、熊本市に文化財指定を働きかける準備を、まさに進めていた矢先でした」

 「鎮魂の夏」の到来を前に、「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」の高谷和生事務局長(61)は切々と語り出した。

 旧陸軍隈庄飛行場の油倉庫(熊本市南区)は、さきの大戦時に、航空機用燃料が入ったドラム缶などを保管した場所だったという。

 だが、実はそれだけではなかった。この飛行場は名優、三船敏郎(1920~1997)が終戦を迎えた地とされる。

 三船プロダクション(東京)が保管する三船の軍人姿の写真がある。舟形帽をかぶり、右目に厚紙で作った眼帯をはめ、鼻ひげを描いた1枚だ。高谷氏ら同ネットワークは今年3月、終戦時に同飛行場に所属していた元隊員の証言から、それが同飛行場で三船が演劇を披露したときに撮影された可能性が大きいと突き止めた。

 証言では、三船は昭和20年7月1日の部隊祭で演劇を披露し、楽団の指揮を執ったと判明した。さらに、飛行場周辺の関係者への聞き取りも進めた結果、三船は非番に近くの飲食店街によく顔を出し、酒をたしなんでいたとの逸話や、「大柄でいい男で、給仕の女性にも人気だった」と別の証言も得た。

 高谷氏は「写真にあるように、隈庄飛行場はその後、『世界のミフネ』として活躍した三船の原点ともいえるだろう」と語る。

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 それから約1カ月後、熊本地震で数多くの戦争遺跡も被災した。油倉庫もその1つだった。コンクリートの側壁は崩れ、建物全体も傾いた。熊本市が応急的に危険度を調査した結果、「危険」と判定された。

 油倉庫はいま、近所の住民が持ち主で、倉庫として使う。この先、保存するか方針は決まっていない。文化財としての指定も受けておらず、復元するのは難しい。

 ならばと、高谷氏らは建物を立体的に把握する最新機器「3Dレーザースキャナー」で高精度な測量を行い、図面に残そうと計画を立てた。

 高谷氏は「これならたとえ建物がなくなっても、記録として保存できる。とはいえ、地元の熱意でこれまで残ってきた戦争遺跡が失われるのは惜しい」と語った。

 同ネットワークは今月20日から2日間、長野市で開かれる「第20回戦争遺跡保存全国シンポジウム長野県松代大会」に参加する。

 全国で戦争遺跡の研究や保存に取り組む「戦争遺跡保存全国ネットワーク」などの主催するイベントだ。

 そこで、高谷氏らは戦禍をくぐり抜けた油倉庫と併設する弾薬庫を、熊本地震に伴う「震災遺産」として認定し、保存することを関係機関に働きかけるための決議文の採択を目指す。

 高谷氏は「震災は全国どこにでも起こりうる。戦争遺跡を震災遺産としても認定し、保存する大切さを全国の人に考えてもらうきっかけになれば」と語る。

 一連の地震による被害を乗り越え、戦争の記憶を後世へと語り継ぐための地道な活動が続く。(谷田智恒)

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【用語解説】旧陸軍隈庄飛行場

 昭和16年10月ごろに完成した。当初は大刀洗陸軍飛行学校隈庄分教所として発足し、18年6月、同飛行学校隈庄教育隊と改称された。20年4月、重爆隊第一一〇戦隊が配置され、特攻隊機の中継基地となる。現存する油倉庫、弾薬庫とも同飛行学校で利用された建物だと判明している。現在の熊本市南区城南町舞原にあたり、「舞原(まいのはら)飛行場」とも呼ばれる。