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【熊本地震】復旧・復興どうあるべきか 忘れるな熊本らしさ

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【熊本地震】
復旧・復興どうあるべきか 忘れるな熊本らしさ

 □作家・ジャーナリスト山村明義さん

 熊本地震から1カ月が過ぎた。地元出身の作家でジャーナリストの山村明義氏が本紙に寄稿し、復旧・復興への思いを語った。

 「よかよか。大丈夫だけん、心配すんな」

 「物は何もいらんばい」

 4月14日の震度7の最初の地震発生時、熊本市内に住んでいる私の肉親は、こう強気に語った。

 2日後の猛烈な本震で住むマンションに大きな亀裂が入り、これ以上住めないと悟(さと)り、福岡市内に避難してからも、「大丈夫、大丈夫」と語るのである。

 さらに震災後、支援のために帰郷した私が驚いたのは、宇土櫓(うとやぐら)や石垣が崩れた熊本城の側にいるある住民が「よかよか、修理できんなら、熊本城は放ったらかしにしとけばよかたい」と語ったことだった。

 九州人なら理解できるかもしれないが、この九州人特有の「よかよか主義」は通常の生活においては「楽天主義的生き方」として猛烈な威力を発揮するが、いざ災害の非常時には、逆効果になりかねない。

 余震が続き避難生活が長く続くと「弱気の虫」が騒ぎ出して何も考えられなくなり「放り出し状態」から抜け出せなくなるからだ。

 「他の人に比べると、自分のところは大したことはなか」、「東日本大震災に比べれば、熊本の被害は小さかったけんね」という声も各方面で聞いた。

 だが、それは強がりであって実態はそうではない。

 例えば、健軍商店街のある地元商店主は、「もう商売は無理」と諦(あきら)め、物件を買い漁っている中国系資本家に物件を売却し、土地を離れた。また、震災後、阿蘇で長年営んできた酪農を廃業したり、茶畑を手放したりする農家も少なくないという。

 熊本市内の繁華街である上通り・下通りの店舗も夜の店じまいが早い。こういう点も、熊本県人の「諦めの早さ」の一つの表れであろう。

 しかし、震災時に諦めが早いと、外部の人間から自らの住む共同体を思うように変えられてしまう危険性もある。

 例えば、5月11日に開かれた「くまもと復旧・復興有識者会議」(五百旗頭真(いおきべまこと)座長)のメンバーを見ると、全員が県外出身者で東大・京大の学者だ。

 しかも、この会議が提出した「緊急提言」には「地域の伝統文化の復興」という文面がない。仮に彼らが復旧・復興計画を決めるとなると、被災者である熊本県民が地域の歴史や伝統文化の復興を希望した場合、どこでどう反映されるのだろうか。

 今回、南阿蘇村や益城町など過酷な被害に見舞われた熊本3区選出の坂本哲志衆院議員(自民)は、「確かに熊本県人は、大らかで諦めが早い反面、肥後もっこすと呼ばれるように、粘り強い所がある。私の住む市町村でも、阿蘇神社をはじめ、地域住民の歴史や伝統文化として残さなければならないところがたくさんある。これからも粘り強く復旧・復興を働きかけて行かなければなりません」と語る。

 今回の熊本地震の復興では、外部の人間に頼るだけではなく被災者自らが「熊本県民らしさ」や「熊本の歴史と伝統の良さ」を自立的に引き出せるようにする工夫が必要であろう。

                  ◇

【プロフィル】山村明義

 昭和35年、熊本県荒尾市生まれ。県立済々黌高校、早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て独立、作家・ジャーナリスト。政治、経済、外交、宗教、歴史をテーマに幅広く活動。主な著書に『神道と日本人』(新潮社)、『GHQの日本洗脳』(光文社)。近著は『SEALDsに教えたい戦前戦後史 劣化左翼と共産党』(青林堂)。