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【水をめぐるストーリー】町名由来の「酒が湧く井戸」(酒々井町)

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【水をめぐるストーリー】
町名由来の「酒が湧く井戸」(酒々井町)

 ■孝行息子の真心 語り継ぐ

 県内を代表する「難読地名」の一つ、酒々井(しすい)町。近年は大型アウトレットモールが人気を集めており知名度も上がったが、福岡県出身の記者は千葉に赴任する前、タクシーで「シュシュイ」と口をすぼめて発音し、運転手に笑われた苦い思い出がある。

 町は1400年代後半から戦国時代にかけて下総の豪族・千葉氏の城下町として栄え、江戸時代には幕府に献上する馬を育てる牧場や成田山詣での宿泊客でにぎわう宿場町だった。そんな町の名前の由来をひもとくと、水にまつわる面白い伝説にたどり着いた。

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 -昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と息子が住んでいた。親思いの息子は酒好きの父親のために毎日一生懸命働いて、父親に酒を買っていた。ところがある日、どうしても酒を買う金を用意できなかった。

 「このまま帰れば父の楽しみをなくしてしまう。こんな親不孝はない」。途方に暮れて歩いていると、道端の井戸から良い香りが漂ってきた。水をくんでなめてみると、なんと酒の味がした。

 父親は「うまい酒だ」と喜び、息子はこの日以降、毎日井戸から酒をくんで飲ませた。

 だが、この井戸は親子以外の人が飲むと、水の味しかしなかったという。周囲は「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とほめたたえ、村は「酒々井」と呼ばれるようになった。

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 大正2年の印旛郡誌にも記されている「酒の井伝説」と呼ばれる言い伝えである。町教委生涯学習課の酒井弘志さんは「詳細は不明ですが、鎌倉から室町時代にこの話が広まったと考えられています」と話す。室町時代の応永14(1407)年ごろの記録には、この地は「須々井(すすい)」と記されていたが、江戸時代以降の資料には「酒々井」や「酒井」「酒酒井」となっていた。読み方は「すすい」や「しゅすい」だったとされる。

 明治7年の文献にも酒々井と書いて「しゅすい」と呼ばれていた記録が残るが、町制が施行された22年には、なぜか「しすい」町に。酒井さんは「この15年間で何があったのかも不明です」と説明する。

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 伝説の舞台となった井戸がある円福院が、江戸時代末期ごろから住職のいない無住寺だったことも謎の一つだ。戦後、混乱に乗じて人が住み着いたという話もあるが荒れ放題に。伝承の碑とされる板碑は残されていたものの、井戸は枯れていた。

 見かねた地元の住民らが平成18年、井戸周辺の整備を始めた。刈り取った草などのごみは小型ダンプカー8台分に上ったという。整備された井戸では、そばのボタンを押すと伝説に関する音声案内が流れ、井戸の底からちょろちょろと水があふれる演出も施されている。水は近くの別の井戸からくみ上げたものだ。

 整備活動から10年が過ぎた現在、井戸の周囲には地元小学校の児童らが植えた花壇やベンチが整備されている。児童らに伝説を語る取り組みに力を入れる「酒の井の碑広場管理委員会」の中台隆委員長(77)は「伝説が消えないように大切にしていきたい」と話す。

 伝説と井戸を大切にしようとする地元の人々の取り組みは、孝行息子の真心から生まれた難読地名とともに長く続くことだろう。ただ、酒好きとしては、井戸の水が枯れてしまったことだけが残念である。(大島悠亮)