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【九州の礎を築いた群像 スターフライヤー】(2)創業

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【九州の礎を築いた群像 スターフライヤー】
(2)創業

北九州空港で離陸に向け滑走するスターフライヤーの1番機。地域の期待を背負った 北九州空港で離陸に向け滑走するスターフライヤーの1番機。地域の期待を背負った

 ■「新しい航空会社で世の中を変えてやる」 出資に込められた地域の願い

 「今までの航空会社とは違う新しいスタイルを始めたい。午前5時30分から翌日午前1時15分まで運航します。足を組んでも苦にならない座席間隔です」

 平成18年1月16日、品川プリンスホテル(東京都港区)で、北九州空港を拠点とするスターフライヤーの航空券発売の記者会見が開かれた。就航まで残り2カ月。創業社長の堀高明(67)は、既存の航空会社との違いを強調した。

 堀の説明は、驚きをもって受け止められた。

 シートは全席本革製。電源コンセントに液晶モニター、足置きが備えられた。座席間隔は、他社の機体に比べて10~20センチ広い。空港の搭乗待合室や受け付けカウンターに至るまで、機体と同じ黒色で統一した。

 しかも運賃は大手航空会社より2割程度、安く設定した。

 その秘密はシャトル運航にある。3機で1日計12便運航することで、1便当たりの空港従業員の人件費など固定費の負担を減らし、低価格を実現した。

 記者会見中、堀はふと、目の前に飾った航空機の模型に目を落とした。

 「大手の寡占に一石を投じる」

 そんな野心とともに、北九州という街への感謝の念がわいた。「地元の思いを大事にした経営をしなければならない」

 スターフライヤーは、地元企業の支援なくしては存在しなかった。TOTOや安川電機など有名企業から、資本金が1千万円に満たない110以上の中小・零細企業まで、計43億円を出資した。そこには、北九州活性化への願いが込められていた。

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 8年11月、旅行代理業「エイチ・アイ・エス」創業社長、沢田秀雄(65)=現会長=が、新規航空会社「スカイマークエアラインズ」(現スカイマーク)を設立した。定期旅客便を飛ばす航空会社の新設は、実に35年ぶりだった。

 北海道国際航空(現エア・ドゥ)やスカイネットアジア航空(現ソラシドエア)も名乗りを挙げた。

 背景には規制緩和があった。日本では戦後、航空産業の発展を目的に、国主導の航空業界の再編と、厳しい規制があった。例えば、ある路線につき運航事業者を「最大3社」と制限していた。

 このため航空業界は全日本空輸、日本航空、日本エアシステム(18年に日本航空に吸収合併)の3社による寡占が長く続いた。航空産業は大きくなったが半面、航空運賃は高止まりし、サービスもマンネリ化した。

 政府は、規制緩和を求める国内外の声に押され、こうした制限の撤廃に着手した。羽田空港の発着枠も優先的に新興航空会社に与える優遇策を打ち出した。

 新興航空会社は優遇策を追い風にした。ただ、各社とも就航時の保有機体は少なく、知名度の低さに苦しむ。大手の値下げもあって、新規参入組の業績は悪化した。

 管制の仕組み、機材の発注、予約決済システム、許認可権をもつ国との折衝など、航空業界の専門的なノウハウにも欠けていた。

 堀は、この“低空飛行”をもどかしい思いで見ていた。

 堀は業界3番手の日本エアシステムに勤めていた。自治体や国との折衝を担い、業界の人脈もある。

 「これからは、個性のある新しい航空会社が必要なんだ。俺たちなら、他社と同じ轍(てつ)は踏まない」

 13年夏、創業を決意した。堀は当初、17年度の開港を控えた神戸空港での参入を考えた。52歳だった。

 14年12月17日、「神戸航空会社」を創業した。ライト兄弟が人類史上初めてとされる飛行機を飛ばした日からちょうど100年目。航空業界にとって特別な日だった。

 ただ、神戸空港を本拠にという構想は、頓挫した。空港管理者の神戸市の目は、大手2社に向けられていた上、別の新興航空会社の就航も決まっていた。堀が望んだ24時間運用も実現しない。

 失意の堀の目に、北九州沖に建設中の空港が映った。

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 北九州市企画政策室長の片山憲一(63)=現北九州エアターミナル社長=は同じ頃、一抹の不安を感じていた。

 北九州市長の末吉興一(81)=現アジア成長研究所理事長=は昭和62年の初出馬以来、地域経済浮揚のカギとして、新空港整備を掲げた。

 その新空港が17年度、周防灘を埋め立てた人工島についに開港する。

 だが、全日空や日航は、保有する羽田空港の発着枠を北九州路線に振り分ける考えはないようだった。

 地方と羽田を結ぶ東京線は航空会社にとってドル箱路線だ。だが、羽田空港の発着枠は各航空会社に割り振られている。数に限りがある。この発着枠を、これまで空港がなく、市場規模も見えない北九州に振り分ける余裕はない。

 片山は、羽田の便数を増やすには、北九州空港を拠点とする新たな航空会社しかないと考えた。

 だが、航空会社設立に名乗りを上げ、市に出資を依頼してきた業者の多くは、片山の質問にも満足に答えられなかった。市の金で「一山当てよう」と考える山師のような人間が含まれていた。

 そんな最中に、堀が片山に面会を申し込んだ。

 さすがにプロだった。堀の計画は、深夜早朝も飛ばし、1機当たりの飛行時間を増やすことで、コストを低く抑えるというものだった。24時間空港を目指す北九州空港ならばその条件が当てはまる。

 しかも堀の周囲には、全日空出身の武藤康史(62)ら航空業界のノウハウを持つ人間が多かった。

 実は堀は北九州と無縁ではない。日本エアシステム時代、定期便就航を目的に、旧北九州空港の滑走路延長を働きかけ、実現させた経験を持つ。市の新空港担当部署に知人も多い。

 堀との面会を終えた片山は市長室で進言した。

 「末吉さん、この航空会社は資金さえ集まれば成功すると思います」

 末吉の脳裏にあったのは、日航や全日空による路線だった。

 「信じてよいのか?。大手航空会社の印象を悪くしないだろうか…」

 末吉は一瞬考えをめぐらすと、片山に「企業誘致」名目で、堀の支援担当を命じた。

 肝心の名称が「神戸航空」のままでは具合が悪い。堀は社名をスターフライヤーに変えた。

 夜光る星「スター」に24時間運航の思いを込め、ライト兄弟の飛行機「フライヤー号」をもじった。

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 片山は、企業を堀に紹介し、ともに出資を頼んで回った。航空会社設立には60億円もの資金が必要とされていた。

 堀も、ただ待っていただけではない。

 株主優待制度としてチケットを割安で購入すれば、社員の出張費を軽減でき、出資金も数年で回収できると訴えた。

 16年3月末、第1弾として、北九州都市圏の主要企業5社から、2億1千万円の出資を受けた。この実績が国土交通省に認められ、羽田空港発着枠の分配に手を挙げることができた。

 TOTO会長の重渕雅敏(80)はその年の11月、北九州商工会議所会頭に就任すると、自ら市内の会員企業に出資を打診した。会員企業を集めて、説明会を開くほどの力の入れようだった。

 北九州市の政財界には、大きな期待を寄せるわけがあった。

 四大工業地帯といわれたのは遠い過去。昭和38年の5市合併時点で100万都市だった北九州は、鉄冷えによって、どんどん人口が減少した。企業流出も相次ぎ、日銀北九州支店の移転の動きさえあった。

 市長の末吉、そして経済界の首脳は、北九州没落の原因の一つとして、空港の不便さを挙げていた。

 もともと北九州地区は、製鉄業に加え、陸路と海路における九州の玄関口として、隆盛を誇った。

 だが戦後、経済圏の拡大に伴い、交通・物流の主役は空に移った。市内には滑走路1600メートルの小規模な北九州空港しかなかった。対して、福岡市は中心部からわずかな距離に滑走路2800メートルの大空港がある。

 北九州市は、起死回生の一手として、沖合に新北九州空港建設を進めた。ただ、ハードを作っても、飛行機が飛ばなければ、無用の箱物に終わる。

 堀にとって夢であるスターフライヤー構想は、北九州にとっては、極めて現実的な要望に添ったものだった。

 市内からは中小企業も支援に手を挙げた。資本金が500万円程度のある印刷会社は1千万円を出した。

 北九州市も17年度予算で、スターフライヤーに10億円の補助金を計上した。

 だが、北九州だけでは足りなかった。

 北九州発祥のゼンリンを全国企業に育てた大迫忍(1945~2005)は、福岡都市圏に手を伸ばした。

 製造業の街・北九州と、商業都市・福岡。同じ県とはいえ、両市の間には、微妙な反発があり、これまで同じプロジェクトを協力して行った経験は、ほとんどなかった。

 大迫は、九州の発展には北九州・福岡両都市圏の連携が欠かせないと考えていた。“断交状態”だった両市の経済界の交流を進め、福岡財界に太いパイプがあった。

 大迫はスターフライヤーについて、九州電力など福岡市の主要企業で構成する「七社会」に働きかけた。

 そして、堀にこう言った。

 「彼らは、口に出さないけど、裏でOKをもらっている。お前はあいさつに行き続けろ」

 堀は大迫に頭を下げた。だが、スターフライヤーに協力してくれた大迫は病に倒れ、17年6月に死去した。59歳だった。七社会は同じ年の9月、5億円を出資した。

 堀は胸中で大迫の冥福を祈り、誓った。

 「海外と同じように、飛行機をホテル代わりに使ってもらうような航空会社を作ります。将来は24時間飛ばして、世の中を変えてみせます」(敬称略)