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福岡・飯塚の朝鮮人追悼施設めぐり賛否

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福岡・飯塚の朝鮮人追悼施設めぐり賛否

市営飯塚霊園の国際交流広場。納骨堂「無窮花堂」など追悼施設でほぼ占有されている 市営飯塚霊園の国際交流広場。納骨堂「無窮花堂」など追悼施設でほぼ占有されている

 福岡県飯塚市の市営飯塚霊園内にある朝鮮人追悼施設の碑文をめぐり、街が揺れている。「強制連行」など日本の戦争責任を非難する内容が盛り込まれていることに、地元の保守系団体は「裏付けのない事実に市がお墨付きを与え、炭鉱町のイメージを不当に暗くしている」と修正を求める。これに対し、管理するNPO法人側は「碑は行政と細かく打ち合わせをして設置した。現時点で碑文の修正に応じる考えはない」と反発する。(九州総局 奥原慎平)

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 ■「誤った歴史認識植え付ける」

 □国際交流広場の正常な運営を求める会共同代表・佐谷正幸氏

 現在の国際交流広場は来場者に誤った歴史認識を植え付け、日本を中傷する『反日広場』になっています。

 碑文には「数多くの朝鮮人と外国人が日本各地に強制連行された」「15万人が炭鉱労働を強いられ」とありますが、史料の裏付けはあるのでしょうか。

 公共の場に立つことで、碑文の中身は「行政が認めた事実だ」と誤って認識される恐れもある。

 さらに広場では毎年、追悼式が営まれます。そのたびに日本や韓国の報道機関が、(設置する)NPO側の主張を報じます。

 何を指して強制連行と主張しているかは分からないが、法律上の罰則がある「徴用」が朝鮮半島で適用されたのは、昭和19年9月から半年ほどです。

 徴用以外に自らの希望で日本に来た人も多い。炭鉱労働以外も含まれますが、昭和8~13年に、108万人の朝鮮半島出身者が日本への渡航を出願し、証明書などの不備によって65万人が(渡航を)差し止めされています。

 私は昭和30年に三菱鉱業(現三菱マテリアル)に入社して以来、炭鉱にかかわってきました。

 確かに炭鉱労働は過酷です。落盤やガス漏れの危険がある。

 NPO側は炭鉱労働の一番きつい作業に半島出身者が従事していたと主張します。ですが、危険性が高い石炭採掘で、初心者を技術的に難しいところに配置しないのは、炭鉱労働の常識です。

 「朝鮮人をいじめていた」との主張もありますが、いじめるメリットが分からない。戦時下で採炭量の確保が求められているのに、むやみに労働者を殴って、作業効率を落とすのはおかしい。恨みをもたれたら暗闇の中、大人数で襲われかねません。

 筑豊炭鉱は、戦時中に労務者が不足する中で、日本のエネルギー供給の原動力になりました。

 そこで殉職された方は、日本人も朝鮮半島出身者も同じように感謝・顕彰し、慰霊の対象とすべきではないでしょうか。

 広場に置いているパンフレットには、筑豊炭鉱で働いた半島出身者について、「slave laborer(奴隷労働者)」と書いています。このように、あわれみの対象として扱われることに憤りを覚えます。郷里が冒涜されている気がします。早く碑文を修正すべきなのです。

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 ■「強制連行には証言がある」

 □国際交流広場無窮花堂友好親善の会理事長 吉●順一氏

 国際交流広場設置の経緯は1995(平成7)年にさかのぼります。朝鮮総連筑豊支部の役員だった★来善(ペレソン)氏(故人)を中心に、建立実行委員会を結成しました。★氏は何百回と講演をし、飯塚や日本と朝鮮半島の歴史について勉強会を開きました。

 ★氏自身、強制連行の体験者です。「過去の歴史を帳消しにして、二度とこのようなことが起こらないように」と寺院を回り、同胞の遺骨を探したのです。

 炭鉱で半島出身者は、差別を受けていました。

 確かに(石炭統制会などの)資料では、賃金や待遇の差を表すデータは見当たらない。ですが、体験者の証言がある。

 NPOメンバーで在日本大韓民国民団の飯塚支団長の韓光▲(ハン・グワンイン)氏の知人に、15、16歳の頃、半島から腰縄に目隠しをされて飯塚に連れて来られた人がいます。

 「タコ部屋」に住むことを強要されました。監視員がいて出られない。「ゆっくり寝られなかった」と言っていたので、ぎゅうぎゅう詰めだったのでしょう。

 厳しさに耐えかねて、脱走する人も多かった。特高(特別高等)警察の資料では、半島から連れて来られた炭鉱労働者のうち4割が逃げている。出入り業者の朝鮮人の女性のスカートの中に隠れて脱走した人もいると聞きます。

 (碑文にある)筑豊炭鉱への強制連行者15万人という数字について、疑問を持つ人もいますが、朝鮮総督府の資料や県事務引継書、昭和49年の「九州地方朝鮮人強制連行真相調査団」の調査で明らかになった。

 強制連行について私は、日清戦争の頃から半島から日本にやってきた人は、「百人中百人」が強制連行だと考えています。

 日本をはじめ帝国主義諸国が半島で権益争いをした。日本人は半島の土地の2割を所有し、朝鮮人は働く場所を奪われ、日本に行かざるを得なかった。

 一部では日韓併合により、(半島で)人口が増え、都市化が進んだと言われますが、世界の最貧国としてだろうと、半島には半島としての生き方があったと思います。

 碑の扱いについては、NPO法人ではなく、個人として飯塚市と協議しています。設置当時は行政とパネルの数や一言一句まで細かく打ち合わせをしました。新たな事実が明らかになるならともかく、現時点で碑文の修正に応じる考えはありません。

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 ■飯塚市、協議促す「誰もが慰霊できる場に」

 朝鮮人追悼碑について飯塚市は、管理するNPO法人「国際交流広場無窮花堂友好親善の会」(無窮花の会)理事長、吉●順一氏に、碑文の中身について協議を行うよう促している。

 同市の菅成微(すが・なるみ)都市建設部長は昨年12月9日、市議会の12月本会議で「(いわゆる強制連行をめぐる問題について)歴史的な認識は一市町村の考えではなく、政府の動向に沿って考えるべきだ。市民の誰もが慰霊できる場所になってほしい」と述べた。

 また、経緯について菅氏は「平成12年に国際交流広場を整備した際、市が決済し、(NPO法人側が)設置した。こま犬や歴史回廊の設置方法についてはNPO法人と市が協議したが、協議の議事録は残っていない」とした。

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【用語解説】飯塚市の朝鮮人追悼施設

 在日朝鮮人や自治労関係者らでつくる団体が平成12年12月、市の設置許可を受けて納骨堂「無窮花(ムグンファ)堂」と追悼碑を建てた。土地は、市が霊園内に「国際交流広場」を約600万円かけて整備し、その一角の使用を許可した。

 追悼碑正面には「日本の植民地政策により、数多くの朝鮮人と外国人が日本各地に強制連行されました」「筑豊には15万人にも上る朝鮮人が炭鉱で過酷な労働を強いられ、多くの人びとが犠牲となりました」などと日本語とハングルで記している。

 現在はNPO法人の「国際交流広場無窮花堂友好親善の会」(無窮花の会)が管理する。

 これに対し、地元住民らでつくる「国際交流広場の正常な運営を求める会」は「政治利用されている」として昨年9月、見直しを求める陳情書を市に提出した。

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★=褒の保を非に

▲=金へんに引