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人気薄の鶯谷駅エリアに「ねぎし三平堂」 昭和の爆笑王しのぶ 東京

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人気薄の鶯谷駅エリアに「ねぎし三平堂」 昭和の爆笑王しのぶ 東京

 不動産・住宅情報サイト「ホームズ」によるJR山手線の「ダサいと思う駅ランキング」で、昨年末、鶯谷駅が102票(得票率24・3%)を獲得してワーストワンとなった。理由は「ラブホテルが多い」「場末な感じがする」など。だが、周辺には見どころが点在。その一つ、落語家、林家三平(先代)の資料を集めた「ねぎし三平堂」(台東区根岸)を訪ね、「昭和の爆笑王」をしのんだ。(慶田久幸)

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 根岸は鶯谷駅の東側に広がり、江戸時代は大商人や文人墨客が別宅や隠居先とした土地。駅から徒歩5、6分の住宅街の一角に「ねぎし三平堂」はある。

 階段を上がると突然、三平の声で「今、来るんじゃないかって噂していたとこなんですよ」。展示室では「好きです、好きです、好きです、好きです、よし~子さん」とヒット曲が流れてきた。高座もあって、三平の等身大パネルが置かれている。

 テレビ黎明(れいめい)期に「神風タレント」と呼ばれる人気者だっただけに、残された画像・映像や音源は多い。

 ◆季節に応じた小話

 「三平歳時記」のコーナーでは、季節に応じた小話が聞ける。「今日ね、お坊さんが2人うちに来たよ」「何だい」「和尚がツー(お正月)」「僕が乗ってるポンコツの車が後ろからぶつけられまして。一日だけに音が良かった、ガンターン(元旦)」

 大画面で三平が語る「源平盛衰記」を見ることもできる。同名の浪曲を筋にして、落語家が独自で話を絡める「地話(ちばなし)」と呼ばれる芸だ。「もう、大変なんですから」などのギャグを織り込んでなかなか話が進まないが、本筋はさすがの語り口だ。

 展示室の資料などによると、三平は大正14(1925)年11月、7代目林家正蔵の長男として生まれた。本名は海老名栄三郎(後に泰一郎と改名)。旧制中学卒業後、昭和20(1945)年3月に19歳で徴兵。復員後は正蔵に弟子入りするも、正蔵の急死で7代目橘家圓蔵(当時は月の家円鏡)の門下に入った。

 やがて、ラジオ、テレビで人気となったが、時事問題や流行をちりばめた小話をテンポ良くつなげていくスタイルで、生放送が多かった当時、時間を調整できるのが放送局側にとっても都合が良かったようだ。

 ◆どうもすいません

 三平の代名詞「どうもすいません」は、もともと、7代目正蔵が客いじりのために使っていたというが、三平はテレビ番組の司会の時にせりふを忘れて「どうもすいません」と言ったとか、生放送で時間が余って「どうもすいません」と言ったとか、諸説がある。

 54年正月、脳出血で倒れた三平は懸命のリハビリでいったん高座に戻ったが、翌55年9月に肝臓がんで倒れ、54歳で帰らぬ人となった。

 三平堂は毎週水土日曜日オープン、入場料は600円。毎月第3土曜日に開かれる「三平堂落語会」は入場料込みで1千円。問い合わせは(電)03・3873・0760。

 さて、三平堂の裏には明治の俳人、正岡子規(1867~1902年)の旧宅「子規庵」がある。先の大戦時に空襲で焼失したが、昭和25年に再建された。その向かいには、洋画家で書家の中村不折(ふせつ)(1866~1943年)が集めた中国や日本の書道資料を展示する区立書道博物館。豆腐料理の「笹乃雪」や、こごめ大福が名物の「竹隆庵 岡埜」などの名店も近い。

 駅西側には徳川家6人の将軍が眠る上野寛永寺霊廟(れいびょう)があり、その先は「谷根千(やねせん)」と呼ばれる谷中、根津、千駄木という外国人にも人気の下町。

 鶯谷駅。ね、侮れないでしょう!?