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【静岡回顧2015】清水エスパルスJ2降格 24年目で初の事態

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【静岡回顧2015】
清水エスパルスJ2降格 24年目で初の事態

 ■J1早期復帰へ問われる運営手腕

 平成5年の開幕時からJリーグに参加してきた名門クラブ「清水エスパルス」が初めてJ2に降格した。サッカーの盛んな旧清水市(現静岡市)で市民クラブを前身に誕生した清水はJリーグ創設10チームの中で唯一実業団を母体としない“市民球団”として人気を集めたが、経営危機などもあって成績が低迷。リーグ24年目で初めて1部から姿を消すことになった。

 ◆序盤から苦しい戦い

 16年以来11年ぶりの2ステージ制となった今季、清水の成績は序盤から低迷した。3勝4分10敗(勝ち点13)とクラブ史上最低の成績で最下位のままファーストステージを終えると、セカンドステージ5戦目で大榎克己監督が成績不振を理由に辞任。田坂和昭ヘッドコーチが監督を引き継いだものの、苦しい戦いがその後も続いた。

 FW鄭大世の完全移籍やDF角田誠の期限付き移籍などの補強策も取られたが、チーム状態は上向かず、10月17日の仙台戦に敗退。15位だった新潟がその日夜の試合に勝利したためこの時点で年間順位16位以下が確定し、クラブ史上初のJ2降格が決まった。

 それでも、最後は年間最終順位を17位まで上げ、シーズン4度目となる年間通算最下位を避ける意地も見せた。サポーターの一人は「小さな都市がサッカーのまちといわれるようになり、Jの理念とぴったり合った」とチーム発足当時を懐かしそうに振り返る。

 ◆サポーターとの距離

 旧清水市は昭和42年に全国初の小学生リーグが結成されるなど、早くからサッカーの普及にまちぐるみで取り組んできた。清水は地元サッカー少年団OBが中心となって結成された市民クラブ「清水FC」が前身。Jリーグ発足時には「地域密着を掲げるJリーグの理想に最も近いチーム」と言われ、市民もそれを誇りにしてきた。サポーターの男性(43)はチームが低迷を始めた理由について「勝ち負けではなく、ファンとの距離ができてしまったからではないか」と指摘する。

 確かに、Jリーグ人気が去り、クラブの経営が行き詰まる中で、チームの苦境を救う原動力となってきたのは、チームを愛してやまない地元サポーターの存在だった。平成9年に発覚した経営危機の際には、チームの存続を求め、署名、募金活動を展開。市民らの熱意に押される形で地元企業が支援に乗り出し、チームは解散を免れた。これをバネに清水は11年のセカンドステージで優勝、不死鳥のごとくよみがえった。

 ただクラブが3年連続で赤字ならJ1ライセンスが剥奪される新制度が25年に導入され、経営が苦しいクラブ側は生え抜き選手を次々と放出。最近はファンとの間で不協和音が拡大していた。

 J2降格の憂き目をみた清水だが、それでもチームを愛する市民らの思いに変化はない。市内に住む男性会社員(55)は「ゼロからのスタートじゃない。23年間しっかり走り続けてきた歴史がある。良いものは残しながら進まないといけない」とチームを激励。サポーターを自認する女性(32)も「経営難による存続危機の時も市民の数より多い31万人もの署名が集まった。1年でJ1に戻ったら今まで以上にパワーがつくはず」と、反転攻勢への期待を口にする。

 ◆クラブ社長が陳謝

 そして今回ばかりは、立て直しに向けたクラブ側の思いも真剣だ。静岡市役所に今年の成績を報告に訪れたクラブの左伴(ひだりとも)繁雄社長は降格の原因について「気迫、球際、90分走り切る、怖いサッカーができなかった」と陳謝。「チームを降格させた重みをひしひしと感じている。おわびだけではすまされないと思っている」と早期のJ1復帰を約束した。

 来季初参戦するJ2はJ1を上回る42試合の長丁場となる。1年で昇格できるのか。それとも低迷が長期化するのか。クラブの運営手腕が厳しく問われる1年になる。(島田清)