産経ニュース

【九州の礎を築いた群像】ロイヤルHD編(9)てんや

地方 地方

記事詳細

更新

【九州の礎を築いた群像】
ロイヤルHD編(9)てんや

天丼の低価格化を実現したオートフライヤー

 ■「世界で一番おいしいチェーンを作ろう」 引き継いだ“天使のサイクル”

 ステンレス製のコンベヤーに、店員が衣を付けた野菜やエビを載せる。食材は90秒間、コンピューターで180度に制御した油をくぐり、香ばしいキツネ色の天ぷらに仕上がる。

 全国に広がるチェーン「天丼てんや」は、ロイヤルホールディングス傘下で、復活に成功した。そこには、ロイヤルの江頭匡一(1923-2005)と、てんやを運営するテンコーポレーション(東京)の岩下善夫(71)という2人の創業者の縁があった。

 平成16年。てんやは“身売り”の窮地に陥っていた。大株主の丸紅が、アジア通貨危機(9年)後の不況から、外食事業縮小を打ち出したからだった。

 すかいらーくやゼンショー、コロワイドなど大手飲食チェーンが、内々に名乗りを上げた。だが、岩下は気乗りしなかった。

 「手を挙げるのは、どこも売り上げ重視の企業ばかりだ。天ぷらの大衆化を目指して作った、この会社を売り上げだけを目指す会社には売りたくない…」

 昭和の終わり。天ぷらといえば、経験豊富な職人が一つ一つ調理する高級店が多かった。天丼は1千円ぐらいするのが普通だった。

 岩下は、調理作業の機械化による天丼の低価格を目指した。知人を通じてコンピューター制御の「コンベヤー式フライヤー」を開発した。フライヤーは、1時間に1300個の天ぷらを揚げることができた。職人3人分の能力だった。

 岩下は平成元年4月、丸紅、日清製油(現・日清オイリオグループ)との3者で会社を設立し、1号店を東京駅の八重洲地下街に出した。

 天丼1杯が500円。サラリーマンが昼食に気軽に食べられる金額を実現した。開店初日には200メートルの行列ができ、その後、てんやは首都圏を中心に100店舗以上を展開する一大チェーンとなった。

 天丼という食文化を広めた。その自負があるだけに、岩下は売却先にこだわった。

 そんな岩下に、ロイヤルから声がかかった。

 「てんやはフランチャイズ展開に適している。ロイヤルのネットワークを使えば、関東ローカルにとどまっているてんやの全国展開、さらには海外進出も可能になるだろう」。第4代社長の今井教文(62)は、和食分野の強化を考えていた。

 岩下は飛びついた。「あの江頭さんのところか。飲食業への考えが同じだ。私の方から会いたい!」

 実は岩下は、マクドナルド日本法人の創業メンバーの一人だった。

 世界最大のハンバーガーチェーン、マクドナルドの日本進出にあたっては、ロイヤルの江頭も提携を希望していた。だが、マクドナルドが選んだのは藤田田(1926-2004)だった。岩下は藤田の部下として、マクドナルド発展に汗を流した。

 一方、江頭はその後、ハンバーガーチェーン「ホストジュニア」(現・ベッカーズ)を独自に設立し、業界をよく知る岩下を引き抜こうとした。

 江頭は、岩下を2時間にわたって説得した。売り上げの数字よりも、従業員やお客、商品に思い入れのある企業であることを強調した。

 最終的に岩下は断ったが、江頭の思いに強く共感した。岩下にとって、心血を注いだ企業の売却先としてロイヤル以上の相手はいなかった。

 17年7月、ロイヤルはテンコーポの筆頭株主になった。22年に完全子会社化した。

 だが、社風も歴史も異なる企業同士が、相乗効果を出すのは、想像以上に難しいことだった。

 テンコーポは、従業員の自主性を重んじ、ジーパンで気軽に通勤できることを人材募集のうたい文句にしていた。これに対し、ロイヤルホストのコックや店長は、仕事内容はもちろん、通勤時の身だしなみから髪形まで厳しく指導を受けた。

 ロイヤルグループから来た上司に厳しく指導されることが多くなり、テンコーポの従業員は萎縮し、店の雰囲気は暗くなった。

                 × × ×

 「会社が従業員を大切にすると、お客さまへの心配りなど、従業員の接客が良くなる。これが『天使のサイクル』です。てんやのDNAです。店はコンクリートやステンレスでできているけど、中身は、人間が人間に対して満足してもらうのが本質なんです。それをいかに磨くか。外食業は『人間業』なんです」

 24年の初め。東京・四谷にある飲食店で、ほろ酔い気味の岩下は、3人の男に語りかけた。

 その場にいたのは、2年前にロイヤルホールディングスの社長に就いた菊地唯夫(49)とロイヤルホスト社長の矢崎精二(64)、そしてテンコーポ社長就任が内定している用松靖弘(60)だった。

 「ロイヤルを信じて売却したんだ。『てんや』を何とかしてほしい」。そんな岩下の切実な思いが、3人に伝わった。

 「生まれも育ちも違うんだ。テンコーポの企業文化を大事にします。洋食のロイヤルホストとメニューは違っても、お客さまに喜んでもらうという目的は同じですよ」。用松は、岩下に答えた。

 菊地も同感だった。

 「てんやには純粋でまじめな性格の人が多い。用松さん、その良さを大事にしてください。事業会社は互いを認めることが大事なんです。相手の仕事ぶりや企業文化を否定から入るのはやめましょう。リスペクトするんです」

 菊地の言葉に、用松はうなずいた。

 24年4月、用松は社長に就任すると、東京・浅草の本社で3フロアにわかれていた営業・開発・管理部門の場所をまとめ、部署間の交流を促した。社長室の扉は開けっ放しにした。社員との対話を重視していることを示すものだった。

 熱海や鬼怒川など温泉地で宴会を催し、社員同士の交流を促した。

 用松は、てんやの150人の店長を集めて、こう説いた。

 「フードビジネスの主役は店舗なんだ。責任をもって決断して実績ができるのは店長と社長です。その2つが一番仕事が面白いんだよ」

 社員の士気は高まった。

 もちろん、品質向上も欠かせない。

 用松はロイヤルホストの鹿児島・城山店時代、全国1位の売上高を記録した。自他ともに認める「飯屋のプロ」だった。

 「基本商品をおいしくするのが、鉄則なんです。天ぷら料理は素材の風味と食感を楽しむものでしょ」

 ふっくらとご飯を盛り付けることができるよう、回転すしの「自動シャリ握り機」を参考に、自動飯盛り機「ふっくらもりぞうくん」を導入した。

 素材の風味がより楽しめるように、油のコクを薄くした。

 用松はてんやの全国展開も進めた。てんやの既存店売上高は、用松がテンコーポ社長に就任する直前の24年3月から27年7月まで、41カ月連続で前年同月を上回り続けた。

                 × × ×

 菊地は、てんやをロイヤルグループ海外戦略の先兵と位置づけた。

 菊地はてんや買収当時、総合企画部長としてTOB(株式公開買い付け)を担当した。その作業の中で、てんやの可能性を見いだしていたのだ。

 「天ぷら好きは多いが、核家族化や高齢化で、家で揚げ物をする機会は減っている。海外の和食人気にも乗れる。外食の天ぷらは、成長力の高いチェーンだ」

 これまでロイヤルは、海外進出に失敗していた。

 2010年11月に進出したロイヤルホスト上海店は、従業員が次々と辞めていったこともあり、4年で撤退を余儀なくされた。

 菊地は、てんやの進出先として、東南アジアを選んだ。和食人気が高まっているとはいえ、現地に天丼の販売店はなく、市場が大きく広がっているとみた。

 2013年10月、てんやはタイ・バンコクに出店すると14年6月にはインドネシア・ジャカルタ、15年4月にフィリピン・マニラと相次いで進出した。

 現地に受け入れられるよう、用松は工夫を凝らした。

 インドネシアでは、濃い味が好まれる。ピザの「ハーフ&ハーフ」のように、天丼と牛丼を組み合わせた商品も開発した。現地でなじみのあるナマズの天ぷらも出した。

 社内向けには、社員に外国語研修を実施した。ローカルからグローバルチェーンへ成長する意識を、社員に植えつけるためだった。

 「40年前にマクドナルドが日本に進出したように、世界で一番おいしい天丼、天ぷらチェーンを作って、マックにも負けないような世界的チェーンにしよう。世界で一番おいしいといわれるチェーンを作ろう」

 用松は店長会議で、てんやの将来を熱っぽく語っている。 (敬称略)