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【北関東の戦争遺跡】土浦海軍航空隊(阿見町青宿)

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【北関東の戦争遺跡】
土浦海軍航空隊(阿見町青宿)

 ■駐屯地に眠る少年たちの「思い」

 阿見町青宿の霞ケ浦湖畔に位置する陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校は、主に装備品の整備や不発弾処理に関する教育のほか、後方支援部隊の指揮官の育成を担う。ここは旧日本海軍の水上機発着場が造られ、航空機搭乗員を養成する予科練教育が行われた場所でもある。

 予科練は「海軍飛行予科練習生」の略称。昭和5年に神奈川県の横須賀海軍航空隊に拠点を設け、教育が始まった。昭和14年には、阿見町に置かれた霞ケ浦海軍航空隊に拠点を移した。

 翌15年、霞ケ浦海軍航空隊から独立し、予科練教育専門の土浦海軍航空隊を設置。戦争が終わるまでの15年間に入隊したのは、試験で選抜された全国の14~17歳の少年約24万人。このうち訓練を経た約2万4千人が戦地に赴いた。特攻隊として出撃した搭乗員も多く、約1万9千人が命を落とした。

 この予科練にまつわる建造物が、今も土浦駐屯地内に残されている。

 一つは、土浦海軍航空隊が誕生した15年に造られた号令台。白を基調に、両側にある階段の中央は緑色で塗装している。この台の前に予科練習生らが集まり、朝礼や集会、体操をしていた。休日で外出する予科練習生に対して指導、訓示も行われたようだ。土浦駐屯地広報援護班の話では「現在も補修をしながら月1回の朝礼などで使用している」という。

 阿見町に住む元予科練習生の戸張礼記さん(86)によると、号令台の前で皇居の方向を向き、頭を下げて敬礼をする「宮城(きゅうじょう)(皇居のこと)遥拝(ようはい)」をした。昭和天皇が訪問されたときには、予科練習生が体操する様子をご観覧になった。

 戸張さんは14期飛行予科練習生として昭和19年6月、土浦海軍航空隊に入隊した。厳しい訓練と、あざができるほどの体罰に耐えた。中学の部活動で経験したグライダーでの滑空訓練が、唯一の楽しみだったという。

 もう一つの建造物は、号令台と同年に建てられた医療施設だ。診療室や薬剤室、手術室、ボイラー室で構成され、予科練習生の健康管理や検査などをしていた。平成14年ごろまでは、土浦駐屯地広報援護班の事務所となっていた。

 戸張さんは「医務室と呼んでいた。すり傷とか打撲とか、多少の出血では医務室に行くことは許されなかった」と振り返る。

 祖国を守ろうと戦ってきた少年たちの「思い」が眠る土浦駐屯地。その心意気は、今も自衛隊員に受け継がれている。(水戸支局 海老原由紀)