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【戦後70年】西鉄列車空襲生々しく 米軍映像を市民団体が入手・公開

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【戦後70年】
西鉄列車空襲生々しく 米軍映像を市民団体が入手・公開

西鉄筑紫駅の空襲について解説する豊の国宇佐市塾の藤原耕氏(右)=福岡県筑紫野市

 昭和20年に西日本鉄道の列車が福岡県筑紫村(現筑紫野市)で米軍の空襲に遭い70年を迎えた8日、同市の筑紫コミュニティセンターで、当時の様子を記録した映像が公開された。集まった約100人の市民らは、生々しい映像に見入り、戦争の悲惨さを改めて実感していた。

 映像公開したのは、さきの大戦の映像や資料を集めている市民団体「豊の国宇佐市塾」(大分県宇佐市)で、米国立公文書館から入手した。

 米軍戦闘機主翼の付け根に搭載されたカメラから撮影されており、カラーで31秒。昭和20年8月8日正午前、西鉄大牟田線(現・天神大牟田線)の筑紫駅周辺の線路や列車などに機銃掃射した様子が記録されていた。

 映像はまず、駅全体をとらえ、その後、広範囲が映し出される。上り列車が筑紫駅の手前約1・2キロ付近に近づくと、機銃掃射が始った。映像は粗くぼやけているが、列車を狙うおびただしい数の銃弾が確認できる。銃弾によって列車周辺に白っぽい土煙が高く舞い上がり、戦闘機は上空に機首を上げた。

 西鉄などによると、この機銃掃射で、上下線列車内にいた少なくとも64人が犠牲になり、負傷者100人以上を出す惨事となった。

 宇佐市塾の藤原耕(こう)氏(42)=大分県中津市=が解析した結果、実際の駅ホームの形状や周辺の道路、集落の位置、川の向きなどが一致したという。

 藤原氏は「戦後70年埋もれていた筑紫駅周辺の銃撃で甚大な影響が出たことの裏付けができた。今後、後世にどう語り継いでいくかが課題だ」と訴えた。

 この空襲で被害を受けた一人に、広島市在住の明神貢氏(87)がいる。久留米市の陸軍予備士官学校に向かう途中で、満員状態の車内で、つり革を握っていた左腕を負傷した。

 明神氏は産経新聞の電話取材に「米軍機は何回も宙返りして撃ってきた。逃げ場がなくってね。ゲートルをほどくと血が噴き出した。治療ができる病院も数少なく、苦労しました」と当時の記憶をたぐり寄せるように語った。

 戦後70年を経てもなお傷跡が残り、茶碗(ちゃわん)を握れないという。「あれからちょうど70年。あのとき、自分に付き添ったばかりに被弾し、亡くなった女性の友達のことは今でも忘れられません」と声を震わせた。

 映像公開に先立ち、市民の有志らが空襲体験者から集めた証言集「語り継ぐ筑紫駅惨劇の記憶」の朗読会なども開かれた。

 また、センター近くには、空襲当時の筑紫駅待合室を保存する施設が完成し、同日、記念式典が行われた。待合室の天井には機銃掃射でできた穴が複数残っており、惨劇の一端を伝えていた。