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【戦後70年 千葉の出来事】成田闘争(下) 公共事業のあり方一変

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【戦後70年 千葉の出来事】
成田闘争(下) 公共事業のあり方一変

 後に過激派の関与が判明。他の収用委員にも脅迫や嫌がらせが相次ぎ、同年10月には委員全員が辞任した。委員らは記者会見で、妻が入院するなど家族への影響が出ていることを明らかにした上で「疲労困憊(こんぱい)その職にたえずの心境だ」などと述べた。

 この事件は、その後の県政発展にも暗い影を落とす。県収用委は過激派の活動が沈静化する平成16年まで機能停止し、公共事業に関する用地買収で地権者との交渉が難航するなどして建設コストが上昇。県内の社会基盤作りに大きな支障が出た。

重たい教訓

 時代の流れとともに過激派のゲリラやテロに対する社会の風当たりは厳しくなる一方、成田空港は「日本の表玄関」として発展を続けた。

 2本目の滑走路の建設では、空港公団の後継組織である成田国際空港会社(NAA)が、地域住民との話し合いによる問題の解決と共生に力を注ぎ、2本目の滑走路はサッカー日韓ワールドカップ直前の14年4月に供用を開始することができた。2本の滑走路の発着回数は、26年度は約22万8千回。利用者数は3500万人を超える。