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【戦後70年 千葉の出来事】成田闘争(下) 公共事業のあり方一変

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【戦後70年 千葉の出来事】
成田闘争(下) 公共事業のあり方一変

 建設に反対する過激派の激しいゲリラに多くの犠牲を出しながら、昭和53年に“出直し開港”した成田空港(成田市)。滑走路はA滑走路1本のみだったが、次第に地域活性化のために機能強化を望む声が地元経済界を中心に高まった。61年に当時の中曽根康弘首相は運輸省(現国土交通省)などに2期工事着工を指示。これに対し、過激派は再び活動を活発化させた。

 過激派は62年1月14日に用水工事の警備に当たっていた県警の警察官15人に鉄パイプで殴りかかったり、火炎ビン約100本を投げつけたりし、4人に重軽傷を負わせた。開港前に警察官3人を殺害した東峰十字路事件のように警備体制に混乱を与えることが狙いだったが、空港公団側は着実に造成を進めていく。

収用委員長を襲撃

 開港10年目の63年には、空港公団が2期工事に向け、強制的な土地収用を決める権限がある県収用委員会に、団結小屋の強制収用の審理を要請するとの見方が広がっていた。そうした中で過激派が標的に定めたのは同委員会だった。

 同年9月21日には帰宅途中の小川彰委員長(当時)が、待ち伏せしていた数人の集団から鉄パイプなどで襲撃を受け、瀕死(ひんし)の重傷を負った。